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ラナ・バウザー女史による2月21日付の預言的メッセージを以下に拙訳でご紹介します。
私は主がこう言われるのを聞きました。「押し進め。集中せよ。3月はより大きな動き、運動、移り変わり、揺さぶりの始まりとなる。3月とその先に大きな動員が起こる」。
2024年2月21日
今週、私は主の言葉を聞きました。「推し進め。集中せよ。新たな産み出しがある。3月は、より大きな動き(momentum)、運動、移り変わり(shifting)、揺さぶりの始まりとなる。物事は3月に引っかかりが取れ、動き出す。3月以降、大きな動員(mobilising)が起こる」。
主とともに座っていると、「推し進め(push)」と「集中せよ(focus)」という言葉がとても強く響きました。「推し進め」という言葉は、主が語っておられることに逆らっている何に対しても、今、断固とした態度を取り、譲らないようにしなさい、という主からの強い招きでした。主が産み出そうとしておられる「押し進み」があり、それは、深い謙遜と主への依存に根ざすものです。それは、主の誤ることのない御言葉の真理と、主がどなたであるかに根ざした、かつてないほどの深い決意です。
疲労困憊した聖徒たちに新鮮な力が臨んでいます。それは、追求や人間の努力に根ざさない新鮮な力です。それは、主に深く依存し、主に明け渡すことから産み出されつつあります。
主が私に示されたのは、多くの人々がこの数年間、自分の立場を堅持するために過ごした来たように感じていること、そして、彼らを動かし、揺さぶろうとする多くのものが彼らに立ちはだかって来たことです。しかし、季節が急速に移り変わりつつあり、聖霊の新鮮な風が彼らの上に吹いています。彼らは深い炎を経験し、主の炎の中で深く清められました。試練に次ぐ試練や反対に次ぐ反対にもかかわらず、また、誤解され、脇に追いやられ、忘れ去られ、疲れ果てても、彼らは主に忠実であり続けました。彼らは、あきらめるのではなく、とどまろうとする決意を通して、主に忠実に仕えてきたのです。
私は、彼らの人生に炎のように燃える言葉が降り注ぐのを見ました。その言葉は、「権限の付与、委任(commissioning)」でした。主は私にこう語られました。「今、これらの人々の上に新鮮な委任が起こっている。その委任の中で、神的な回帰が起こっている。神的な産み出しが起こっている。超自然的な強化と回復が起こっている。そして、過去数年間、あるいは多くの者にとってはそれよりも長い間となるが、動かされないように堅く立って生きた場所で、彼らは今、私の火による新鮮な洗礼を受けており、私の言葉を受けた執り成しと神的な役割を通して、地上の物事を動かし揺るがす力と権威を帯びて立ち上がろうとしている。前代未聞の大きな方法で、動かす者、揺さぶる者たちがやって来る」。
「押し進め」と「集中せよ」という言葉が再び私を強く包み込み、エリヤが雨を求めて叫ぶ物語が私の心に強く響き始めました。私は列王記上18章42節に導かれ、その箇所で、エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめ、七度にわたって従者を遣わして海の方を見させ、やっと七度目に手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ました。
私は主が言われるのを聞きました。「押し進め、集中せよ。私は、より深い執り成しの姿勢と集中した祈りに私の民を導いている。そこは、私と、私の言葉と、私が語っていることと、私が約束したことに熱烈に集中する場所だ。私がもたらそうとしている産み出しと私の霊の注ぎが現れるのを見るために、執り成しにおいて信仰のうちに押し進みなさい」。
「あなたたちは、3月以降、物事が移り変わり、揺れ動くのを見続ける。私は、集中した祈りと執り成しの中で膝の間に顔を寄せて生き、私が語ったことからはずれようとしない民を立て上げている。雨がやって来る音が聞こえるか。わが注ぎの音が聞こえるか。私に深く頼っているわが軍隊が地上で動員されている音が聞こえるか。彼らは、私が誰であるかに集中し、私の言葉とレーマを糧とし、私を必要としていること、そして私にあって権威があることを自覚して力強く立っている」。
「地上に、より大きな移り変わりと揺さぶりが訪れるにつれて、私の栄光の産み出しと顕現と啓示とが見られるようになるからだ。あなたは気をそらしてはならない。断固として気をそらしてはならない。気をそらすことを捨て去り、私に集中しなければならない。あなたが祈っているとき、そして祈り続けているとき、人の手のひらほどの雲が海のかなたから上がり始めるのを何度も何度も見ることになるからだ。今は注ぎの時だ。私による注ぎの時だ。私は、私とともに支配し治めることが何であるかについて、私の民を訓練している。しかし多くの者は気をそらしてじらされている。もはやそうであってはならない。今は、私により深く集中することを開始する時だ。断食して祈る時だ。なぜなら、3月とその先に、地上における私の計画と約束と方法の偉大な産み出しに協力してもらうために、私があなたに求めている姿勢は、深い集中と深い依存と深い謙遜と祈りの場から来るのだから」。
「3月とその先に、自然界で何が起ころうとも、あなたの目を私に向けなさい。わが霊の偉大な運動、わが霊の偉大な動き、神的な秩序とわが力と栄光の実証をもたらすためのわが手の動きがある。そして私が偉大な神であることが、より偉大な形で見られるようになる。わが栄光が到来する。到来する栄光。最も暗い場所にもわが栄光が現れるのだから。そしてわが栄光は啓示される」。
「揺さぶりと畏れに備えよ。揺さぶりと畏れに備えよ」。この言葉が私を取り囲んだとき、私の中から叫びが湧き上がりました。「これは主への畏れ。これは主への畏れだ」。そして主は答えられました。「私はその畏れを回復している。私はその畏れを回復しているのだ」と。
主は続けられました。「今はこれまで以上に低い姿勢になる時だ。低い姿勢になる時だ。深く頭を下げる時だ。低姿勢で生きる中であなたは知ることになるからだ。低姿勢で生きる中であなたは知ることになる。あなたはより大きな啓示と神的な洞察と識別を受けることになる。高い所を私は打ち壊している。高慢な場所を私は取り壊している。私は低姿勢で生きる民を起こしている。私は、権威の座で私と共に統治する民を、謙遜と私との深い親密さのうちに顔を伏せて生きる民を起こしている。「私を見て」という心の姿勢で顔を高く上げてきたところに、私の前に伏して生きる民を生み出すための揺さぶりを私は起こしている。彼らは恥じるのではなく、畏敬の念と謙遜のうちにそうするだろう。わが力は、前代未聞の方法で彼らの人生を通してはっきりと示されることになる」。
「私が3月に物事を動かし始めるとき、物事が産み出され始めるとき、物事が揺れ動き、移り変わるとき、深く頭を下げなさい。礼拝と集中した祈りにおいて私の前にへりくだり、わが力と栄光と回復された畏れが示されるのを見なさい。見ていなさい。3月とその先に、謙遜の場所で、集中的な祈りと執り成しの場所で、わが栄光の重みがどのようにますます増していくかを。それは、あなたがわが戦略を聞き、わが栄光の訪れを見るために私の方法と連携するためだ」。