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何よりもまず、執り成しをしなさい

”Prophetic Intercession(預言的執り成し)”(シリル・ジョン著、2018年10月発行)の第1章

コンサイス・オックスフォード・ディクショナリー(辞書)によれば、執り成しは、「他の人のための祈りまたは嘆願」です。カトリック教会のカテキズムは、「執り成しの祈りとは、他の人のために行う懇願の祈りです」(第2647項)と教えています。「執り成しとは、わたしたちをイエスの祈りに緊密に結びつける懇願の祈りです。イエスはすべての人間、とくに罪びとのために御父のもとで執り成してくださる唯一の仲介者です」(第2634項)。どういうわけだか、執り成しについてのよくある理解は、それは執り成しの賜物か召命を持っている特別な人々のためのものだとか、執り成しのミニストリーに携わっている人々のためのものだというものです。私たちの共同体やミニストリーや祈りの集いの多くには執り成しの役務があり、特定の召命を持っている人々が、執り成す責任を委ねられています。他のミニストリーに関わっている指導者やメンバーが「執り成しはあまり好き(得意)ではありません」とコメントするのを私は聞いたことがあります。彼らによれば、ある人々だけが執り成しという特別な召命を受けていることになります。

聖パウロの執り成しについての理解は、このよくある理解とずいぶん異なります。「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」(一テモテ2・1~2)。聖パウロは執り成しを最優先しています。聖パウロによれば、すべての人が執り成しに招かれています。そして私たちはすべての人のために執り成すべきです。平穏で落ち着いた生活をすることができるよう、権威を持つ人々のために特別に執り成すべきです。もしこの励ましを真剣に受け止めるならば、現在、平穏で落ち着いた生活が今できていない理由を私たちはじきに理解することでしょう。信仰の低下、背徳、物質主義、私たちの周りの暗闇の勢力の影響力の拡大を見て私たちは非常に当惑しています。それは、私たちが執り成しをそれにふさわしい真剣さをもって扱ってこなかったからです。政治、社会、宗教等のあらゆるレベルの指導層で私たちはスキャンダルを抱えています。問題は、「私たちはあらゆる領域で指導的立場にある人々のために十分に祈っているか」ということです。もし今日、私たちあるいは私たちの兄弟姉妹が「常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活」ができないのであれば、それは、私たちが「王たちやすべての高官」のために十分に祈っていないからではないでしょうか?

私たちは、管理的業務、司牧、教育、社会事業、福音宣教、奉仕、癒しの働き、あるいはメディアを使った使徒職などに携わっているかもしれません。どのようなミニストリーに関わっていようとも、私たちは何よりもまず、執り成すよう招かれています。執り成しについてのある講演者がこれを次のように説明しています。「すべてのミニストリーは、執り成しのミニストリーにつながっています。教会を表す巨大な傘を想像してみてください。その傘には多くの様々な骨(スポーク)があり、それぞれの骨は教会の様々なミニストリーを表していますが、傘の柄(え)、つまり傘の軸となるポールは執り成しです。柄が傘の骨を安定させ、その役割を果たせるようにするのと同じく、執り成し手は教会を安定させ、教会が特別な方法でその役割を果たせるようにします。執り成し手はミニストリーを安定させます。なぜならこの深い執り成しの祈りから神の恵みと力とがすべてのミニストリーに流れていくからです」。というのも、執り成しは、私たちが関わっているありとあらゆるミニストリーの発電所だからです。

執り成しということであれば、私たちにはイエス御自身の力強い模範があります。「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブライ5・7)。イエスのミニストリー(伝道)は40日間の祈りと断食をもって始まりました。それは祈りへの専心へと続きました。12人の弟子を選ぶ前に、イエスは神に祈って夜を明かされました(ルカ6・12~13)。イエスはその信仰が無くならないようにとペトロのために祈られました(ルカ22・31~32)。イエスはより多くの働き手を求めて祈られました(マタイ9・37~38)。イエスは全世界のために、ひいては私たち一人一人のために執り成しをされました(ヨハネ17・6~26)。イエスは御自分の受難と十字架上の死を通して全人類の罪を贖われました(ローマ4・25)。それはイエスによる最大の執り成し行為でした。十字架の上でさえイエスは御自分の敵のために祈られました(ルカ23・34)。「しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった契約の仲介者になられたからです」(ヘブライ8・6)。聖パウロは、イエスが神の右の座に座っていて、私たちのために執り成してくださっていると教えています(ローマ8・34)。これは、イエスが「すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる」からです(一テモテ2・4)。

執り成しは私たちのすべての取り組みの起爆剤かつ主要な原動力であるべきです。馬は荷車の前に置かれる必要があります。私たちのミニストリーの成功は、私たちのプロジェクト、プログラム、私たちが手を差し伸べている人々のためにどの程度、私たちが執り成すかにかかっています。教皇ヨハネ・パウロ二世は効果的な福音宣教のための執り成しの役割を強調されました。「祈りは、宣教者たちの旅に伴われるべきものです。それによって、みことばを告げ知らせることが神の恵みをとおして効果的になるからです」(回勅『救い主の使命』第78項)。今日の最大の必要は、教会とこの世におけるその使命のために執り成すことです。伝道師、宣教師、教会の働き手の人数を増やさなくても、教会での祈りを倍増させることができさえすれば、二倍の結果を見ることができるでしょう。すべての人が説教し、地の端にまで行き、福音宣教できるわけではないでしょう。でも、私たち全員ができることがあるとすれば、それは執り成しです。そして執り成しは私たちのできる最も偉大なことです。世界宣教の鍵は、あなたの祈りと私の祈りが握っているのです。それを今日、そして今始めませんか?

拙訳(試訳)

コメント一覧

Jacky2022年3月17日 5:35 AM /

日本の聖霊刷新の大会で初めて預言的執り成しを指導してくださった国際的指導者による著作