• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

聖なるものとの遭遇

『今、ここにある奇跡』(ボブ・カントン著)の第1章から

普通のカトリック信徒であったボブ・カントン氏の「聖霊による刷新」との出会いについての章です。この本はボブ・カントン氏の許可を得て四谷祈りの集いの有志で共同で翻訳し出版したのですが、現在在庫切れのため、第1章(拙訳)をご紹介します。

1984年11月11日の土曜日、私と妻のチタは、カリフォルニア・ストックトン《主の奉献》教会で行われた「聖霊における成長セミナー」の最中に「聖霊による洗礼」(the Baptism in the Holy Spirit)を受けました。聖霊による洗礼もしくは個人的な聖霊降臨は、生ける神の臨在とその聖霊の力を経験することです。バチカンに本部を置く国際カトリック・カリスマ的刷新事務局(ICCRS)の教義委員会により準備され発行された聖霊による洗礼についての文書によれば、

「聖霊による洗礼は、御父である神の愛が心に注がれるのを経験することで、イエスを主とし聖霊  を力とする生活への変容に結び付くものである。この恵みは、福音宣教の熱意に火をともし、人に奉仕と使命のためのカリスマ(賜物)をそなえさせることにより、秘跡としての洗礼と堅信を生き生きとしたものとする」とあります。

これは、チタと私がこれまでの人生における生ける神との、最も意義深く劇的な経験とは言えなかったとしても、確かに最も意義深く劇的な経験の一つでした。

私のいとこのアヴェリーナは、まだフィリピンに住んでいたころからカトリック・カリスマ的刷新(訳者注:日本では「聖霊刷新」と呼ばれています)に積極的に関わっていたのですが、妻と私に、1984年9月に《主の奉献》教会で開催された「聖霊における生活セミナー」に参加することを強く勧めました。そのとき、私たちは、どっちみち祈っているし、日曜日はミサに出ているしなどと、セミナーに出席しない色々な理由を並べ立てました。私たちはそのセミナーに出席する必要性を感じなかったのです。2ヵ月後、同じ会場で「聖霊における成長セミナー」が開催されることになりました。セミナーは11月10日から11月12日の日曜日の午後までの予定でした。その時、アヴェリーナは、以前よりも強く説得を試み、このセミナーは神との“普通の体験”とは異なるものだと言いました。私たちが絶対気に入るとまで言い切りました。最初、私たちは、基本となるセミナーに出なかったので、成長セミナーに出るべきではないと彼女に反論しましたが、彼女は、そんなのは全然問題ないと言いました。「それに、どっちみち誰も気づかないわよ」と無理に安心させようとしました。私たちは、なぜセミナーに出席できないのか、この世で考えられるあらゆる言い訳をしました。でも、私の従妹は折れようとしなかったのです。

とうとう、彼女を喜ばせるために、それに彼女が私たちの娘のベビーシッターをしてくれていたので、妻と私は土曜日の午前中1時間だけセミナーに出ることにしました。どっちみち妻はその日買い物に出かける予定でした。私たちの計画では、誰も見ていないときにこっそり抜け出して、ショッピングモールに直行する予定でした。私たちは金曜日の晩のセッションには出ませんでした。

土曜日の朝、家を出ようとすると、ガレージの扉の自動開錠装置が壊れ、チタと私は、セミナーが開かれていた《主の奉献》小教区の体育館に向かう車の中で言い争いをしました。その結果、遅れて会場に到着しました。私たちがある夫婦(エレナ、ジェス・モレナ)による講話と証を聴いたとき、彼らが心から信じていることを話していたので、私は心が燃えるように感じましたし、何だか、彼らの話していることがわかるような気がしました。次に、別の夫婦が、いかに主イエスが彼らの惨めな結婚生活を救ってくださったか、ということについて証をしました。私はとても感動しました。チタも同じでした。その後、チタと私は、最後まで残ることにしました。私の義理の姉妹のカルメンとルツ(姓はカントン)も私たちと共に出席していました。

昼食の間、私たち4人は、話をしてくれた人々の誠実さとその力強い話にいかに深く感動したかについて、互いに分かち合いました。セパルヴィーダ夫妻(メアリーとジュリアン)、《主の奉献》教会のビル・ブレナン助祭(祈りの集いの指導者、ストックトン司教区のカトリック・カリスマ的刷新連絡担当者、元パシフィック大学ロシア史教授)が午後から早晩にかけて講話と証をしました。そのあとのミサの最中、一部の人々が不思議な言葉で歌うのを耳にしました。後になってわかったのですが、それは「異言での賛美と歌」でした。

聖霊における安息

聖体拝領の後、セミナーにおける分かち合いのグループのリーダーの一人リリアン・マルチネスがあたかも気絶したかのように床に倒れました。恐ろしいことに誰も彼女を助けに来ませんでした。私は、公認の看護婦であるチタに、救急措置を施すよう囁きました。チタがリリアンに近づこうとすると、誰かが彼女を制し、リリアンに触れないようとアドバイスしました。私は心に思いました。「この人たちは一体どういう連中なのだ。もしリリアンが心臓発作を起こしたとして、誰も彼女を蘇生するために何もしていないとしたら。彼らは私の妻が救急措置を施すのさえ止めてしまった。」私は、控えめに言っても、リリアンに起こったことに対して、周りの人々が明らかに「怠惰」で、どう見ても関心を持っていないことに非常に苛立ちました。数分後、リリアンは立ち上がり、大丈夫そうに見えました。やるせなさを感じてはいたものの、彼女が大丈夫なのをみて私は胸を撫で下ろしました。後になってわかったのですが、リリアンは「聖霊における安息」あるいは「聖霊による気絶(slain)」あるいは「眠りへの落下」と呼ばれる現象を体験したのです。これは、聖霊が私たち人間の霊に触れられることにより、私たちが肉体的な弱さを感じて後ろに倒れる現象です。しかし、私たちは意識を失ったり、肉体のコントロールができなくなったりするわけではありません。この現象を経験する人は、一般的に、周りの状況を非常によく把握しています。たいていの場合、彼らは平安を感じ、神のご臨在のうちに「休息している」感覚を持ちます。

司祭の祝福によりミサが閉式となった後、ビル・ブレナン助祭は、小教区の体育館の中で大きな円陣を組むよう人々に指示しました。そして目を閉じるよう指示した後、いくつかの祈りを唱えました。次に人々は、私たち4人(チタ、私、カルメン、ルツ)を除き、全員がまた異言での賛美と歌を始めていました。彼らの目は閉じていましたが、どういうわけか、彼らは異言での歌を同期させていました。つまり、同時に歌い始めて、同時に歌い終わっているようでした。狂信者たちの活動の中心に入り込んでしまったのではないかと私は疑い始めました。苦悩や恐れといった感情が私の心に生じました。私は目を見開いて、周りで起こっているすべてのことを観察しようと努めました。すると、ある人が大きな声で言いました。「私はイエスです。恐れないでください。私はあなたと共にいます。」私は確信しました。「間違いない。これは狂信者たちの集まりだ。誰かがイエスの振りさえしているぞ」と思いました。その人物が預言をした(神からのメッセージを伝えた)ことを私は理解できなかったのです。(預言の賜物については第一コリント第12章、第14章に書いてあります。)このメッセージの後、ブレナン助祭と祈りの集いのリーダーたちが人々に手を置き始め、触れられた人は皆、床に倒れていきました。これが起こり始めると、私は出なければならないと感じ、チタにもう行かなくてはならないと言いました。でも、私たちは両手を握られたまま円陣の中に組み込まれ、抜け出せない状態にありました。私は、エドという名前の長身の紳士の隣に立っていました。彼は、おそらく身長180㎝くらいのしっかりとした体格の男性で、私の手を強く握ったまま目を閉じて元気よく歌っていました。私が手を引き抜こうとすればするほど、より強く握ってきました。互いに腕相撲をしているかのように感じ、彼が私の手を放したがらないので、とうとうあきらめました。彼はずっと目を閉じたままでした。「ここの指導者たちは、来ている人々に催眠をかけているのだ。彼らが私に手を置いたら、彼らが持っているのかもしれない力には彼らの目を直視することで対抗してやる。おれは絶対に床に倒れるものか」と心の中で自分に言い聞かせました。その数分後、突如として膝の力が抜け、私はそのまま床に倒れていきました。そして口からバブバブと言葉が出始めたのです。「何ということだ。私はこの狂信者のグループに感染してしまったのか」と思いました。私は床に倒れたことにとても当惑しましたし、誰も私に触れようともしませんでした。ブレナン助祭と他のリーダーはまだ私から数メートル離れたところにいました。私はすぐにでも立ち上がりたかったのですが、私は足がゴム帯のようになったと感じました。私の足は力が抜けてしまい、どんなに頑張っても、すぐに立ち上がることができませんでした。この不思議な出来事は数分間続きました。床の上で、私はなぜこの男性(エド)が私の手を放したのだろうかと考えました。私が倒れていくとき彼は私を引き戻そうとさえしてくれなかったのです。

「結局のところ、彼はあまりいい人ではないのだな」と私は思いました。やっと立ち上がれるようになったとき、チタがまだ立っているのが見えました。でも数分後、チタはルツと一緒に床に倒れていき、やがてカルメンも続きました。ブレナン助祭と他のリーダーたちはまだ彼女たちの数メートル先にいました。チタは床の上に長い間留まっていました。40分間が経過し、まだ彼女が床の上にいるとわかったとき、私は彼女を椅子に座らせましたが、数分後、顔に笑みを浮かべたまま、また床にすべり落ちていきました。1時間、そして2時間が経過しました。彼女はまだ床の上にいました。とうとう、ブレナン助祭と《主の奉献》教会祈りの集いの数人のリーダーを除き、全員が帰ってしまいました。チタはまだ床の上でリーダーたちの奉仕を受けていました。ジュディという婦人が何かトラウマとなる出来事が私の妻に起こったかどうか私に尋ねました。私は、彼女が2年前に父親を亡くし、その数か月後彼女の兄弟がバイク事故で亡くなったことを話しました。聖霊が今、チタの感情を癒しておられるとジュディは言いました。私は床の上の妻を観察しました。彼女は微笑んでおり、平安を感じているようでした。心の奥底で私は怒り、恐れ、困惑を感じていました。私が妻の心配をしているのに妻は微笑んでいました。私たちに起こっていることについて誰もきちんとした説明をくれそうにありませんでした。3時間が経ちました。彼女はまだ床の上にいました。とうとう私は、家に帰ることを決めました。彼女を車まで歩かせるのを手伝ってくれるよう二人の方に頼みました。彼女はまるで酔っぱらっているかのようで、ほとんど歩くことができませんでした。(実際のところ、私たちが後で学んだことによると、彼女は聖霊において酔っていたのです。)私はチタを車の後部座席に座らせることにしました。ルツが自ら進んで彼女の隣に座ってくれました。私はチタのことを考えると「もううんざりだ」と思いました。さまざまな考えが頭をよぎりました。「もし妻がこのままだったらどうしよう。そんなことがあってたまるか。私たちに何が起こるのだろう。万一、近所の人々が私たちを見たら、たぶん、二人は酒が飲めるバーかパーティーから帰ってきたのだと言うだろう」などなど。

私が車を出すと、チタは異言で話し始めました。数分後、ルツも同じことを始めました。二人はどちらがより早く長く話せるか競っているかのようでした。二人で会話しているかのようでもありました。私はどうしてよいのかわからず、もうお手上げでした。矢継ぎ早にさまざまな考えが浮かび、私を説き伏せようとしました。「奉献体育館に戻るべきだろうか、それとも二人をどこかに連れていくべきだろうか。しかし、どこへ行けばいいのだろう。奉献体育館にはもう誰も残っていないに違いない。もしこんなことが続き、何か起こったら(あってはならないことだが)、弁護士と連絡を取り、《主の奉献》小教区の祈りの集いの関係者を含め、教会を告訴してやる。」チタとルツに起こったことは、これらの人々のせいだと私は思いました。それでもやはり、まっすぐ家に帰ることにしました。私は速度35マイルの交通区間を15マイルで運転していましたが、チタとルツは、「私が運転するよりもずっと速く」異言で会話をしているかのようでした。家に帰る途中、私はいとこのアヴェリーナをも非難していました。セミナーに出るよう私たちを説得したからです。実際、私は彼女に対して激しく怒っていました。

神からの驚嘆すべき個人的なメッセージ

家に到着するなり、私はチタとルツを車から歩かせなければなりませんでした。二人はほとんど歩くことができなかったので、私はチタを左手にルツを右手に抱えました。いとこのアヴェリーナはガレージに通じるドアを開け、私たちを見るなり、「主に賛美!なんてすばらしいの!彼女たちは聖霊による洗礼を受けたのよ」と叫びました。彼女がそういうとすぐ私は怒りのうちに、「何が起こったかよく見るのだな。おまえとあの狂信者集団のせいだぞ。本当にとても変な集団だよ」と叫びました。彼女は、「落ち着いてよ。聖霊が本当に彼女たちに触れられたのよ。すばらしいわ」と言いました。でも私は彼女を無視しました。すると、チタとルツは目を閉じたまま家の中を歩き回り始めました。二人は、「主は私の牧者。私には乏しいことがない」と何度も何度も言い続けました。二人はどこを歩いているのかわかっているようでした。二人は決して互いにぶつかったり、家の中にある椅子やテーブル、どんな家具や物体にもぶつかったりしませんでした。私はいとこに、「二人は何を言っているのだ。あれは、葬儀のときに司祭が唱える祈りではないのか。なぜ二人ともそれを言い続けているのだ」と聞きました。彼女は、「よく聞いてみて。詩編23よ。きっと、私たちが主の臨在のうちに、そして主の保護のもとにあると主が言っておられるのだと思うわ」と答えました。するとチタが目を閉じたまま私のところに来て、「私の息子、ロバーよ。私はあなたを愛しています。息子よ、恐れないでください。私の名前はイエスです。あなたを訪ねて来ました」と言いました。私は恐怖を感じて、チタから離れ、できるだけ遠くに行きました。いとこに向かって尋ねました。「なぜチタは私をロバー(Rober)と呼んでいるのだ。私を息子とも呼んでいるぞ。私は彼女の夫であって息子ではない。(ちなみに、私の洗礼名はロベルト(Roberto)です。)今、彼女は自分が私の母であると思っている。彼女は自分をイエスとも言っている。彼女は教会のあの狂信者たちに汚染されてしまったに違いない。」「さっきのは預言とか神からのメッセージと呼ばれているものよ」といとこのアヴェリーナは説明しようとしました。

私はたまらなくなり、怒って叫び返しました。「それが何だろうと私には関係ないさ。それはどう考えてもとても気味が悪いよ。」この時点で私は自分の両親に家に来てもらうよう頼むことを決めていました。母のリリーが電話に出ました。私はチタとルツが助けを「ひどく」必要としていることを話しました。母は何が起きたのか聞くので、私は二人が本当に「奇妙な」行動をしていると言いました。説明するのは難しいけれども、家に来てみればわかるよと言いました。

「知識の言葉」が私の父に啓示される

私の両親はすぐに来なければならないという緊急性を感じ取ったに違いありません。十分後には私の父ペトロニロと母が到着したのですから。二人が家に入るとすぐにチタとルツが入り口にいる彼らに近づきました。チタとルツの目はずっと閉じていました。

チタが両親に言いました。「私の子どもたち、よく来てくれました。子よ、私はあなたを愛しています。入りなさい。私の名はイエスです」と。そしてチタとルツは何かを異言で語っていました。私の両親の表情を言葉で説明するのは困難です。少なくとも私が言えることは、二人ともちょうど私と同じように恐れを感じ、非常に困惑したということです。父は私の方に向いて、「どこに行ってきたのだ」と尋ねました。私は、「教会ですよ」と答えました。

するとチタが父のところにやって来て、「私の息子ペトロニロ、私はあなたを愛しています。あなたはこことここ、そしてここに痛みを抱えています」と、父の肩と背中と首に触れながら言いました。「しかし、息子よ、私はあなたを今、癒しています。恐れないでください。私の名はイエスです。私は今、あなたを癒すためにあなたの義理の娘を使っています。」次にチタは、手を父の体の病んでいる部分に置いて何かを異言で祈っていました。父の目が大きく開きました。「チタはどのようにして私の体のすべての痛みを知るのだろう。彼女の指摘はまさにそのとおりだ。」私は肩をすくめました。次にいとこが言いました。「心配しないで、パパ。神様がパパを癒しておられるの。」次にチタが言いました。「私の息子よ、これは、私が今あなたに話をしていることをあなたに信じさせるために、あなたが17歳のときに起こったことです。」そしてチタは、当時、父に何が起こったかを続けて言いました。父は、そのことを知っているのは自分だけで他には誰も知らないと私に説明しました。父は私の母にも家族の他の誰にも自分に起こったことを話していませんでした。父はチタがそれを知っていることにびっくり仰天しました。いとこは、チタに預言と「知識の言葉」をとおしてそれについて教えたのは聖霊だと父に言いました。いとこが私たちに言っていることを私は本当に理解することができませんでした。父は私に向き直り、チタが祈ってくれたら即座に体の痛みが消えたと静かな声で私に言いました。

私は、私の兄弟で、ルツの夫のレオに電話をし、私の家に来るよう頼むことにしました。私は、家の中でルツとチタに起こったことを大急ぎでレオに話しました。彼が怒っていることが私にはわかりました。彼が言うには、カリスマ的信徒は「奇妙で風変わりな人々」であると聞いていたので、ルツにセミナーに出席しないよう説得を試みたものの、ルツは自分の言うことに耳を傾けようとせず、とにかく出席すると決めたのだそうです。10分後、レオは家に入って来ると、がなり立て始めました。明らかに怒っていました。ドアから入って来たとたん、レオはルツに起こったことについて彼女を責め立て始めました。ルツは、レオから10フィートほど離れたところで彼の真正面に立ち、両手を彼に向け、目をまだ閉じたまま異言で祈っていました。レオは突然、床の上に倒れ、しばらくの間、そのままでした。「なんてこった。新たな問題がここにも起こってしまった」と私は思いました。ルツとチタはその晩、多くのことを語り、聖書を引用しました。二人は、「すべての子たちよ、私はあなたがたを愛しています。恐れないでください。なぜなら私があなたと共にいるからです。私の母マリアもあなたがたと共にいます。天地たちも共にいます。私の父はあなたがた全員を祝福しておられます」といった言葉を言い続けました。午前2時頃、チタもルツも床の上に倒れ、およそ10分から15分の間、床に寝ていました。二人は、聖霊の“油注ぎ”のうちにあったときに二人に起こったことを私たちに説明してくれました。チタは、愛に溢れた存在、御父である神のものであると思われる愛に溢れた抱擁に包まれたと言いました。ルツは、主の力強い臨在のうちにいたと言いました。二人が見た御父である神、イエス、マリア、天使、それに聖人のビジョンについても二人は話してくれました。二人は、“黄金の通り”を歩いていたと言いました。二人は、主から直接来て、“内側の存在”で聞こえる言葉を繰り返しただけだと言いました。それが進行中、ずっと非常に明るい光が見えたと二人は言いました。家の中では、平和と静穏と晴朗とが感じられました。私たちのうちにおける神のご臨在を私たちは本当に感じることができました。私の両親と私とレオは、二人からこの説明を受けた後、とても安堵しました。ルツが彼女の手をレオに向けたとき、レオは力強いが“優しい”力を感じ、それが彼を倒したと言いました。その体験を決して忘れることができないと彼は言いました。父のペトロニロは、神を非常に力強い方法で経験したのは今回が初めてだと言いました。私について言えば、こんな言い方があったかどうかわかりませんが、私たちに触れたものを、愛に溢れた優しい“竜巻”にたとえたいと思います。その後、1984年11月12日の夜更けに、ルツ、レオ、いとこのアヴェリーナ、私の両親、チタと私はロザリオを唱えました。

このときの聖なるものとの遭遇は、たった数時間前に起こったかのごとく私の中では新鮮な記憶として残っています。それは、私たちの生活における根本的な変化の始まりとなった経験で、私たちが続くように希望し、祈っているその変化(霊的な再生)はまだ続いています。

『今、ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第1章

コメント一覧

Jacky2022年3月23日 6:54 AM /

普通のカトリック信徒であったボブ・カントン氏は、この日の超自然的な出来事を境に癒しの奉仕者へと変えられていきます。ものすごい証しです。