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神への畏怖に浸される洗礼

Lana Vawser にあたえられた預言的メッセージ(2023年6月19日)の機械翻訳を加筆訂正してご紹介します(長いので、およその内容がわかればよいと思い、ざっと修正しました)。

「私は畏れの洗礼をあなたがたに授けようとしている」と主が言われるのを聞きました。
2023年6月19日
週末、主がご自分の民に語りかけられるのを聞きました。主はこう言われました。

「私は畏れの洗礼をあなたがたに授けようとしている」。

私はすぐに気づきました。洗礼という言葉は、「完全に浸される」という意味である、と。私の周囲で主の声が聞こえ、主はこう言い続けておられました。「私がしようとしていることを見なさい。私がしようとしていることを見なさい」。

私たちは神がなさることを見てきたという感覚が強く私を包みました。それは栄光に満ち、素晴らしいものでしたが、これから見ようとしていることに比べれば取るに足らないほどです。

神への畏れに浸される、この驚くべき洗礼は、まったく新しいレベルで教会に神への畏れを回復させる、前例のない神の力の動きです。地上で見たことのないほどに揺さぶりが大きくなろうとしていますが、主の栄光は前例のないほどに見られることになります。

人々が顔を伏せているのが見え、泣き声が私を包みました。それは、私たちがかつて見たことのない方法で主を見、主の美しさを見ることから生じる、主と主の威光に対する非常に深い礼拝でした。

神の霊によるこの力強い動きは、神がどなたであるかについて畏怖の念を抱かせる、神の民への洗礼で、私たちは、神の力強い手がますます多くの人々を解放するの見るでしょう。古い考え方、恐れ、疑い、トラウマなどが突然消え去るでしょう。そして多くの人たちは、神のご性質とより力強い神の言葉の啓示に根ざした、猛烈に集中した信仰をもって、より強く立ち上がるでしょう。

備え、奇跡、主の約束の実現の加速、神が語っておられることの産み出しは、まったく新しい次元に入るでしょう。何年もの間、主は私にアモス9・13~15を預言させてこられました。神がこれからなさろうとしていることは、めまいを感じさせるほどのことです。事態は急速に進みます。

「そうだ、もはや遠い先のことではない」。神の布告。
「物事はとても速く起こり、あなたはめまいを感じるほどである。次々に起るので、あなたはついていけなくなる。すべてが一度に起こり、どこを見ても祝福に満ちている。山や丘から滴るぶどう酒のような祝福。わが民イスラエルのために、わたしはすべてを再び正しくする」。
「彼らは荒らされた町を立て直して住み
ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み
園を造って、実りを食べる。
わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してない」(アモス9・14,15)。

私は何度も何度も主の言葉を聞きました。

「これまで見たことのないものを見る準備をしなさい、今は前例のない日々である」。

私たちは今、文字通り畏怖の日々に突入しています。私たちは畏怖の日々に突入しているのです。左にも右にも、取り囲み増大する闇にも目を向けず、イエスから目を離さないでください。あなたがたは、心を揺さぶるような備え、主の力と威光の心を揺さぶるような示威を見ようとしているのですから。教会と地上は、神の威光と力に震え上がる時を迎えています。
多くの人たちは、状況、喪失、戦い、緊急の要請に圧倒されているように感じています。しかし、産み出しの時は全く別のレベルの加速度で到来し、神が今、忠実な者たちのうちに、また忠実な者たちを通して産み出そうとしていることにより、私たちは先例のないことが実現するのを見るでしょう。

私は主が言われるのを聞きました。

「先を走ってはならない。私の語っていることを聞くために、私の胸に深く寄り添いながら、ゆっくりと注意深く歩みなさい。新しい指示が出されており、あなたたちが私の指示に従って歩むとき、あなたたちは私の栄光、力、奇跡的な備えが前例のない方法で現れるのを見る。そして、私の栄光と私の御名の力があなたたちの家を満たし、この地を満たすのを見る」。

「私は決して遅れない。あなたたちの何人かは真夜中のように感じるが、私は真夜中の奇跡を宣言する。私が約束したことの全容が、奇跡的な方法で現れ始める時である。私がこれからしようとしていることは、あなたがたが見たこともないようなものである。私はかつてないほどの畏れの洗礼をあなたがたに授けようとしている」。

「私は一度に複数のことを産み出している。敵は多くの方向から来ている。しかし、あなたがたのうちに、またあなたがたを通して、私の霊が動くことによって、敵は多方面へと逃げていくであろう。私はあなたたちに畏れの洗礼を授けているから。私は、自分の力の啓示のうちに洗礼を授けている。私は、自分の神聖さと威光の啓示において、あなたたちに洗礼を授けている。見ていなさい。私が誰であるかを畏れる洗礼を見守りなさい。私を土台として建てられていないすべてのものに、より重大な変化と揺さぶりをもたらしなさい。私の民をより清らかで準備の整った場所へと導くために、私がふるいにかけるのを見なさい」。
「私があなたたちに、私が誰であるかを畏れる洗礼を授けるとき、流れる命、復活の力、リバイバル、強化がもたらされるのを見なさい。私が誰であるかに畏怖の念を抱いて洗礼を受けるとき、信仰が生まれ、強められるのを見なさい」。

「畏れからうなり(roar)へ」と主が言われるのを私は聞きました。主が御自分の民に畏れの、神への畏れの洗礼を授けるとき、多くのうなりが回復されるでしょう。はじめの愛の火が弱まっているところでは、突然、多くの人々にとってこれまで以上にそれは強く燃え上がるでしょう。心が乾き、不毛で、死んでいるところで、突然、主が誰であるか、私たちの美しいイエスが誰であるかという啓示が、主の威光のより深い啓示が明らかにされます。はじめの愛が再度燃え上がります。はじめの愛、リバイバルの火が。

主は続けて語られました。

「燃えるような確信をもって、『信じる者には何でもできる』(マルコ9・23)と宣言する多くの人々のうちに、またその人々を通して生まれつつあるうめきとうなりを見なさい」。

私が主の心を求め続けていると、主は、ここ数週間私の心の一番近くに置いておられた二つの聖句を思い出させてくださいました。

「誰がこのようなことを聞き
誰がこのようなことを見たであろうか。
一つの国が一日で生まれ
一つの民が一度に生まれえようか。
だが、シオンは
  産みの苦しみが臨むやいなや、子らを産んだ」(イザヤ66・8)。

「わたしが、胎を開かせてなお
産ませずにおくことがあろうか、と主は言われる。
子を産ませるわたしが
胎を閉ざすことがあろうかと
あなたの神は言われる」(イザヤ66・9)。

キリストの体として経験したことのない、前例のない出産(産み出し)の時がやってきました。神が何をなさるかを見なさい。 神が語られたことを誠実に実現されるのを見なさい。一夜の奇跡を見なさい。加速がさらに加速し、忠実な者が繁栄するのを見なさい。神の民よ、期待と深い服従の中に身を置きなさい。主とともに秘密の場所に深く身を寄せなさい。「私は畏れの洗礼をあながたたに授ける」という主の布告が、ここに現れるからです。