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今日の霊的戦いへの対応

今日の霊的戦いへの対応
2023年7月8日

以下の記事は、カナダのオンタリオ州トロントで開催された「2023 Lift Jesus Higher Rally」でのラルフ・マーティンの講演を要約したものです(機械翻訳をベースにした拙訳)。

今日、私たちが世界と教会で直面している課題と、それへの対応についてお話ししたいと思います。ロサンゼルスのゴメス大主教は、ポルトガルで講演された際、文化で起こっていることについて最も洞察に満ちた説明をされました。

私たちの国では、宗教にほとんど関心を持たず、住んでいる国や地域の伝統や文化に愛着を持たないエリート指導者層が台頭しています。このグループは、企業、政府、大学、メディア、そして文化的・専門的機関の責任者であり、グローバル文明と呼ぶべきものを確立しようとしています。実際、彼らが考えるように、宗教、特にキリスト教は、彼らが築きたいと願う社会の邪魔になるだけなのです。

アメリカやカナダをはじめ、多くの国で水面下で進行していることです。伝統的なユダヤ教・キリスト教文明よりも自分たちの方がうまくやれると考えているグローバル・エリートがいるのです。

バベルの塔を思い出します。「自分たちの名を上げよう、空に向かって塔を建てよう!」 神に反逆する人間の傲慢さ!人類の大部分が「私は神になれる。人間は問題を処理できる。私たちのテクノロジーがすべてを解決する。」

数年前、マイクロソフトのエンジニアが、今後10年以内に人間の寿命を無限に延ばせるようになるだろうと言いました。無期限に延命される可能性のある人間の命は、堕落した人類であり、罪に迷い、イエスによって救済されない限り死ぬ運命にあるものです。

最近、世俗的な反キリスト教主義者として有名なナオミ・ウルフが衝撃的な記事を書きました。少なくとも神への信仰、十戒、教会、シナゴーグには友好的だった文化から、キリストと教会、あるいはユダヤ教を潰そうとする敵対的な力へと、これほど急速に事態が逆転したのは、他にどのような理由があるでしょうか?

ローマ法王ベネディクト16世が辞任したとき、彼は西洋文化に働く霊的な力を特定しようとインタビューに答えました。彼は言いました。

100年前なら、同性婚を口にするのは馬鹿げていると誰もが考えたでしょう。今日では、それに反対すれば社会から破門されます。中絶や実験室での人間の創造も同様です。現代社会は反キリスト教的な信条を策定している最中で、それに唱えなければ、反対すれば、社会から破門という罰を受けるのです。この反キリストの霊的な力に対する恐れは、当然のこと以上のものであり、それに抵抗するためには、教区全体と普遍教会の側からの祈りの助けが本当に必要なのです。

私たちは霊的な戦いが進行していることに目覚め、それが単に生身の人間、政府権力、教育権力、技術権力に対するものではないことを認識する必要があります。それは邪悪なものとの戦いであり、その力に抵抗するためには信仰と祈りが必要なのです。イエスは全人類の唯一の希望です。私たちを救うことができるのはイエスだけです。聖なる生活は不可欠です。

ヘブライ人への手紙12章14節には、「聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません」とあります。聖さは、スピリチュアルなことが好きな人だけのオプションではありません。私たちはそのために創造されたのです。神は、人類が永遠に神と一体となるように創造されました。私たちは、神が私たちの人生における罪の傷を癒し、罪の罪責感から私たちを解放し、悪魔と私たちの乱れた欲望に抵抗する恵みと力を与えてくださることによってのみ、そうすることができるのです。

一日中、世と肉を通して働く悪は、私たちの心、感情、記憶に激しい矢を放ち、私たちが怒り、恐れ、欲望、貪欲、憎しみ、赦せない心、自己憐憫に屈することを望んでいます。「信仰を盾としてとりなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです」(エフェソ6・16)。園での基本的な誘惑は、悪魔が最初の人間に神のいつくしみとその言葉を疑わせようとしたことでした。今日、神の御言葉に疑念が生じ、教会の指導者たちによって真っ向から否定されています。

私たちはイエスと、その霊感を受けた誤りのない御言葉を信頼しなければなりません。イエスの御言葉を信じ、知らなければ、本当のイエスを知ることはできません。もし私たちがあらゆる嘘に翻弄されたくないのであれば、聖書を信じる必要があります。神の御言葉を愛し、神の御言葉にしがみつき、神の御言葉を知らなければなりません。

私たちは反キリストを相手にしているのです。カトリック教会のカテキズムには、「キリストの来臨の前に、教会は多くの信者の信仰を動揺させる最後の試練を経なければなりません」(675項)とあります。聖職者の性的虐待スキャンダル、一部の指導者の隠蔽体質、迫害に直面したときの臆病さ、ローマの非常に著名な指導者が忠実でも真実でもないことを言っていることなど、今日、多くの信者の信仰が揺らいでいます。

カテキズムは続けます。

教会のこの世における旅路を伴う迫害は、そのとき、人生の諸問題の見せかけの回答を人々に与えて真理を捨てさせる偽宗教の形をとった、「不法の秘密の力」を現すでしょう。この偽宗教の最たるものは反キリストのそれで、人間が神と受肉された神の御子であるメシアに替わって自らに栄光を帰す、偽のメシア観です。(675)

もし私たちがただ文化の嘘に対処し、教会が団結して健全であったなら、私たちはもっと良い状況にあったでしょう。ほとんどの人が、言われていることのいくつかに不安を感じていると思います。教皇フランシスコからシノドス全体の指揮を任されているルクセンブルクのホレリヒ枢機卿は、同性愛に関するカトリックの教えには根拠がないと思うと述べています。それは神の言葉によって明らかにされていることなので、私はショックです。

「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません」 (一コリント6・9~10)。

ここで聖書が同性愛について語るとき、それは傾きや指向や誘惑についてではなく、実際に乱れた欲望に負けて同性との性行為に及ぶことについて語っているのだということをはっきりさせておかなければなりません。性的不道徳について語るとき、私たちは、神が言われたように、神に不快感を与え、私たちや他の人々に損害を与えるような方法で性的能力を使うことについて話しているのです。主の警告は私たちの幸福と善のためです。

私たちは、神の国に入るために何をすべきか、何をすべきでないかを知りたいはずです。

聖書はこう続けます。「しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」(一コリント6・11)。つまり、あらゆる種類の罪の奴隷となっている人々に希望があるということです。

ドイツ司教協議会も、「カトリックの新しいあり方を見つける 」と言っています。多くの人々が教会から背を向け、人々の今の立ち位置に対応する必要があると言っているのです。彼らは同性愛やその他多くのことに関する教会の教えの変更を公然と求めています。

つい最近のことですが、サンディエゴ教区のマッケロイ枢機卿は、重い罪によって聖体拝領を受けることができなくなるとは考えていないと述べました。何世紀もの間、私たちは主の道に従って生きるよう努力するように言われてきました。しかし、過去40年あまりの間、司教たちによって正されてこなかったために、毒が蔓延してきました。指導者にも私たちにも失敗がありました。教皇パウロ6世が言ったように、「サタンの煙が神の教会に入り込んでいる 」のです。

はっきり申し上げておきますが、このようなことでキリストと教会に対する私の信仰が揺らぐことはありません。これはすべて神の摂理の下で起こっていることなのです。解決策は誰にとっても同じです。人々は現実を無視し、自分たちが言うような人間だと想像しています。しかし、イエスは古い律法の要求を弱めたのではなく、新しいレベルに引き上げられました。私たちが悪いことをしたいとさえ思わないようにと。聖霊の癒しの力を受けるようにと。

イエスに従い、イエスの弟子となり、戒めを守ろうとする私たちの意図には、意思が必要です。毎日の祈りと聖書を読む時間をどのように作るかを考えなければなりません。

聖霊が私たちのために道を照らしてくださり、たとえ困難であってもそれを実行する恵みを与えてくださるようお願いすることによって、私たちはすべての聖人が共有した神への徹底的な愛を達成することができるのです。毎日の個人的な祈りの時間は、この世の混乱と戦います。闇が迫ってきていますが、イエスは「暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネ1・5)と言われました。イエスに目を向け、無条件に服従することによって、私たちの頭を明晰に保ちましょう。

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原文は下記のニュースレターに掲載されています。
July-2023-Newsletter_web.pdf (renewalministries.net)