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「主に任せなさい 」という新鮮な呼びかけ

ラナ女史による9月12日のメッセージをご紹介します(機械翻訳してざっと修正を加えたものです)。

ここ数ヶ月、今まで以上に強く、「主に任せなさい(LET HIM)」という言葉が私の霊の中で激しく燃えているのを感じています。その音は主の心から放たれ、明確な呼びかけのように鳴り響いているのです。それは、今まで以上に大きくなっている「聖別」の音です。

それはヨシュア記3章5節の音です。

ヨシュアは民に言った、「自分自身を聖別せよ。主は明日、あなたがたの中に驚くべきことを行われる」。

この時間、主は力強く、見事に動いておられます。私たちは、この地上において、これまで見たこともないほどの、主の霊の最も偉大な動きに向かって動いています。私たちは、「自分たちの準備をする」よう、招かれています。「家を整える」よう、招かれています。かつてないほど深く聖別された形で、主の足元に招かれています。主の愛の火、主の霊の精錬の火が、かつてないほど強く燃え盛っているからです。主の心からの求愛があり、主の優しさから生まれる深い悔い改めをもたらす、主の霊の燃えるような働きがあり、現われている主の聖性への確信があります。

私たちがこれまで知らなかったような、神聖な静寂と沈黙が教会に訪れています。この神聖な静寂と沈黙は、神の威厳が明らかにされたときに訪れるものです。それは、栄光の王がその美しさ、威厳、栄光を現すときに訪れる静寂と沈黙、聖なる畏敬と畏れです。この時間、多くの信者の中に深い聖別が生まれつつあり、それは主の聖性と美しさとの深い出会いの場から流れ出てくるものです。それは、回復されつつある主への畏れです。それは聖なる畏れで、自己満足を振り払い断ち切らせるほどの、主がどなたであるのかという驚きです。それは、主が行くところならどこへでもついて行き、狭い道でもついていき、完全な服従のうちに主を受け入れるほどの、燃え上がるような降伏を心の中に引き起こします。

この瞬間、この季節に、私は「主に任せなさい」という言葉が響いているのを聞きます。「主に任せなさい」という新鮮な呼びかけがあります。

自分のやり方を捨て、すべてを捨て、キリストのために「すべて」を献げるという新鮮な呼びかけがあります。キリストの火が降り、私たちを完全に包むとき、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ローマ12・1)という新鮮な呼びかけがあります。

私たちは、主と協力し、主の霊の動きと、かつて見たことのないような地上での不思議のうちに主の霊と協力する瀬戸際にいます。主は私たちをより深みに招いておられます。主は私たちがより深いところで主の道に服従するよう、招いておられます。主は物事を迅速に整えておられます。物事が突然、一緒になろうとしているのです。扉が突然開かれます。配置が突然行われます。主は、御自分の霊の力強い動きのために、すべてのことを整えておられます。私たちは準備しなければなりません。

妨げとなるものをすべて捨て去る時が来たのです。あなたを重くするものすべてを投げ捨てて、新たに自分を捨てるときです。

この時間には、主が御自分の民を招き入れようとしている神聖な再評価の場があります。それは、私たちが「手」をかけているものはすべて、主が築いておられるもの、主の青写真、主の道であることを、主の前で再吟味する場です。あるものは手放され、主が築こうとしておられる新しいことのために場所を空けなければならないからです。築かれているけれども、主の手によるものでなく、手放すべきものがあります。なぜなら、主は、スペース、場所、御自分の手による青写真、御自分の願いと心を解放され、これらのものの上にご自分の栄光を住まわされるからです。

あなたは「主に任せなさい」という響きを聞くことができますか。
あなたの心のすべての領域に主に入っていただきましょう。あなたの人生のすべての領域に主に入っていただきましょう。主に完全に支配していただきましょう。主に手綱を握っていただきましょう。今まで見たこともないほどの決定的な対決、主の栄光の重みが、力強く、素早く私たちにのしかかってきており、私たちは準備ができていなくてはなりません。