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天からのしるし(1917年10月13日 ファチマ)

ファチマでの最後の出現が終わると、聖母は子供たちに暇を告げ、太陽を指すような手振りをしながら太陽の方へと昇って行かれました。というよりも、むしろ、太陽の上にかざした御手を開いて、突如、太陽を照り輝かせたと言った方が当たっているかもしれません。

そのような聖母の動作と同時に、ルチアは群衆に向かって叫びました。

「太陽をごらんなさい!」

大群衆は、これこそ空前絶後の胆をつぶす一大光景に目を廻しました。それは救世主の世の終わりに関する預言「たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」(マタイ24:29)が実現され、天文学上の法則の一つが今、覆ったかと思われました。

先ほどまで降りしきっていた雨ははたと止み、夜明けから空を覆っていた雲は散りうせて、太陽は銀の円板のように、天頂に現れました。人々は有明の月でも見るように、肉眼でこの珍しい太陽を見つめていました。するとたちまち火の車のように回転を始め、幾百条ともしれない光線を四方八方へ放ちながら、回転するにしたがって光線の色が変化して行きます。それに伴って空も地も木も岩も、出現を見る三人も、これを見守る大群衆も、次々に黄、赤、青、紫・・・に彩られて行きます。

太陽はしばし回転を停止したかと思うと再び、さらに眩しい光を放って躍り始めました。

太陽は再度回転を止めましたが、こんどは如何なる仕掛花火の名人も想像すら及ばぬ不思議な花火を散らしながら、みたび運動を開始しました。

大群衆の受けた印象を何と表現しましょう。・・・6万の群衆は、ただ恍惚として動かず、固唾を呑んで、この光景に見入ったのでした。

突然、全群衆は太陽が天空を離れてジグザグに跳ね返りながら自分の頭上に飛び込んで来るのを見ました。

「アアッ!・・・」

恐怖の叫びが、一斉に群衆の胸を破ってほとばしりました。各人各様の驚きをいろいろの感嘆詞を使って叫んだと言った方が正しい表現法かもしれません。

「奇跡だ!奇跡だ!」「私は神を信じます!」「めでたし聖寵みちみてるマリア!」「憐れみ深き神様!」「主よ、わたしを憐れんでください!」そして一段高く他を圧して揚がった絶叫は人間刹那の訴えでした。

今や、全群衆はぬかるみの中に膝を折って痛悔の祈りを唱えました。起立して使徒信経を合唱しました。

誰がこの群衆の感動の様を描き出し得るでしょう。この日まで無信仰者として通した一老人は、高く両手を打ち振りながら叫び続けていました。

「童貞聖マリア!祝せられたる童貞・・・」

老人は、はらはらと溢れ落ちる涙を拭いもせず、預言者のように両手を天に差し上げたまま、内に湧きかえる感動をどうすることもできず、声を限りに叫びました。

「ロザリオの聖母よ、ポルトガルを救いたまえ!」

この丘の至るところで、似たような場面が繰り広げられていました。

太陽の回転は中止時間を加えて、10分間続きました。繰り返して言いますが、参加者は例外なしに一人残らず、この回転を目撃したのです。その中には、信者もいれば未信者もおり、田舎者も都会人も科学者も新聞記者も自由主義者もたくさんいました。皆、何の準備もなく何の暗示もなく、ただ太陽を眺めるようにとの少女の指示に従って、大奇跡があると数カ月前から告げられていた正確な日時に、同一現象を、しかも同一過程のうちに目撃したのです。

後年、教会が奇跡について調査して認められたことですが、コーワ・ダイ・イリヤを去ること5キロ以上の地にいた者までが、何らの予告もなく、何らの暗示や集団的錯覚の影響も受けないで、太陽の運動を見ることができました。

この調査のおり、実に不思議な事が述べられましたが、これはこの話について聞かれた人誰もが認めたことです。すなわち群衆が茫然自失の状態から我に帰って、地上に何が起こったかが分かった時、誰しも驚いたことは、数分前雨にぬれ幾度も泥にまみれた衣服がすっかり乾いていたことです。今はあれほどまでに濡れたことを不快に思う者は一人もいませんでした。それどころか、あの大雨にびしょ濡れになりながら奇跡的全快のお恵みを受けた結核の婦人さえいたのです。

この前代未聞の奇跡は、慈悲の聖母がファチマの牧童によって地上にもたらしたメッセージが特殊の重要性を持つものであることを示すために行なわれたものであることは疑いありません。

『ファチマの牧童』(バルタス)から引用(現代的仮名遣い、表現に一部変更)