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私は奇跡の働き手になれるか?

20世紀以降、キャサリン・クールマン女史、ベニー・ヒン師、ラインハルト・ボンケ師、カトリックではエミリアン・タルディ神父、ボブ・カントン氏など、癒やしの賜物を持ったスーパースターが登場していますが、これから迎える新しい時代(魂の最大の収穫の時代)には、聖霊に導かれて歩んでいる人全員がスーパースターのような働きをするようになるのでいわゆるスーパースターの時代は終わる、と私は信じています。

そこで今回は、ボブ・カントン氏の『今、ここにある奇跡』の非常に重要な12章(拙訳)をシリーズでご紹介します。

第12章 私は奇跡の働き手になれるか。

ヨハネ14:12でイエスは言っておられます。

「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである」。

それで、イエスの働きとは何なのでしょうか。洗礼者ヨハネの弟子たちが、イエスがメシアなのかどうかを聞くためにイエスのもとに行ったとき、イエスは彼らに答えられました。

「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」(ルカ7:22-23)。

北アメリカ、ラテンアメリカ、南アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカ、オーストラリアそしてアジアでの癒しのラリーやクルセードにおいて、多くの人々に次のような質問をする機会を持ちました。「あなた方の中でどのくらいの方々がイエスの働きをしていますか」と。悲しいことに、ほんの一握りの人々だけが、キリストの働きをしていますと公言しました。なぜ、しるしと不思議、奇跡と癒しが多くのキリスト者の生活において現れていないのか、その潜在的な理由の一つは信仰の欠如であると私は信じています。多くのキリスト者は、主が彼らと共に、彼らを通して働くことができると信じていないのです。この不信仰は、主に使っていただくには自分は不適格で相応しくないという思いと密接に関わっています。

イエスは言われます。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)。

洗礼を受けた信仰者として、私たちの体は聖霊の神殿となりました。私たちはあの力−イエスを死から復活させたのと同じ畏怖すべき力−を受けています。イエスは、私たちが主の働きをするために、主の貴い聖名を使う権威あるいは“代理人の力”をも私たちに与えてくださっています。ヨハネ14:13-14でイエスは言っておられます。

「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」。

神の仕事をするには信仰、奇跡を行われる者としての主への信仰を持つことが必要です。

私たちは、まず、神のみことばへの信仰を、次に、私たちが主とともに、主をとおして奇跡を行うことができるという信仰を持たなければなりません。

比較的最近のことですが、私は韓国のダエグでミニストリーを行う機会をいただいたことがあります。癒しのクルセードにはおよそ9千人が参加していました。主は韓国の人々に、主がまだ癒しの仕事をしておられることを示してくださいました。車椅子に座っていた多くの人々が歩けるようになり、目の見えなかった何人かの人々が見えるようになり、耳の聞こえなかった人々が聞こえ始め、腫瘍、シスト、異常成長物が消え去り、瞬間的な癒しが起こりました。「主よ、あなたの力ある聖名において、ここにいるあなたの民に対してミニストリーを行うよう、あなたは私をこの場所に派遣してくださいました。主よ、今私は、私を後押ししてくださるようにあなたにお願いいたします。私には力がありませんが、あなたには力があります。そしてあなたにとって不可能なものはありません。ご存知のとおり、主よ、あなたなしに私は何もすることができません。ここで私が話し、行うことにより、あなたの聖名に栄光を与えてください。」これは私が韓国の人々にミニストリーを行う前に私がした祈りです。

主のブドウ園で奇跡の働き手となることはちっともむずかしいことではありません。
天使がアブラハムにこう言いました。「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている」と(創世記18:14)。主の超自然的な力は、限られた少数の人々だけでなく、洗礼を受けたすべての信仰者に用意されていると私は信じます。主の復活の力が流れていくための器として、進んで自らを明け渡す準備のできている人々を主は探しておられると私は信じます。主のために“愚か”になり、偉大な任務を実行し、邪悪な者の働きを破壊するよう、洗礼を受けたすべての信仰者を主が招いておられることを私は信じます。

私たちが主のために有益な働き手となれるよう、その方法をいくつか見ていきましょう。

『今、ここにある奇跡』(ボブ・カントン著)

続きは明日投稿します。