• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

ルターはマリアを崇敬していたか?

東京四谷の聖三木図書館でおもしろい本を見つけました。『ルターはマリアを崇敬していたか?』(澤田昭夫著、2001年教文館発行)という本です。当時のキリスト教新聞(2002年3月23日)の書評は次の通りです。

*****

宗教改革によりプロテスタント諸教会が否定したそれまでのカトリックの教えにマリア崇敬がある。

「聖書のみ」の立場に立つ福音主義の諸教派にとって、マリア崇敬は必然的でないばかりか、福音を歪める偶像礼拝にほかならなかった。しかし、十全に理解されるカトリックのマリア崇敬は、本来そのようなものではなく、ルターのマリアの中にもうかがえる、と主張する。

構成は「ルターにおけるマリア崇敬の源泉」、「ルターにおける伝統的マリア崇敬」、「ルターにおける新しいマリア崇敬」、「同時代のマリア信心の悪弊」、「ルターにおける信仰生活の模範としてのマリア」となる。

エキュメニカル運動にとって、マリア崇敬は妨げとなるものではなく、それを推進するものだと結論される。

本書は、『カトリック神学』14号(1963年)と15号(64年)に発表された論文が元になっているが、日本語でルターのマリア観について論じた研究は、この1冊だけという意味でも貴重。

*****

私は、ある本の翻訳をきっかけに、ルターの時代にどのように歪んだマリア崇敬があったのか関心を持つようになったので、第4章のみご紹介します。実際、当時はかなり歪んだマリア崇敬があったようです。

>>>>>

4 同時代のマリア信心の悪弊

ルターのマリア崇敬の新しい発展を理解するには、その一つの重要な動機となった同時代のマリア信心の悪弊を知らなければならない。1523年にルターは「マリアへの信心は全部廃止されることを望む」と言うが、この言明にはただちに「悪弊の場合にのみ」という条件が付けられている。すなわちルターは信仰の本来の姿からはなれた形をとったかぎりにおいて当時のマリア崇敬を批判し否定したのである。

アヴィニオンの教皇制時代のキリスト教界の一般的混乱の中で、信徒の信仰生活・信心形態には少なからぬ乱れ、福音の本体からの疎遠が見られるようになった。マリアに対する信心もその例外ではなかった。マリアを聖三位一体の創造者として示すような像が作られ、また信徒の中にはミサにはあずからずに、そのようなマリア像の前にひざまずくだけでこと足れりとする者も少なくなかった。ルター自身の証言によると、キリストに吸わせた乳房を示し、同時にその保護のマントの下に皇帝や王侯君主をキリストの怒りからかばい、彼らの罪の罰を忘れるようにと御子に代願するマリアの姿が描かれ、人々はこれにせっぷんして慰めを感じていた。

マリア崇敬のために多くの聖堂や祭壇が建てられ、そこに上記のような絵画像が飾られ、多くの人が世俗的な動機から、すなわち富、戦利品、安産を祈り求めるためにそのような場所に巡礼した。そのような巡礼は免償を与えられて奨励され、アーヘン、エッティンゲン、アインジーデルン、グリンメンタール、ヴィルスナックなどの有名な巡礼地には私腹を肥やそうとする商人たちがたむろして聖人の遺物や聖像を売っていた。ウォルスィンガムにもヴィッテンベルクにもマリアの母乳といわれるものが保存されて尊ばれていたともいわれる。これら巡礼と巡礼地の悪弊はエラスムスが『愚神礼讃』や『さらばこそ巡礼』という対話の中で叙述しているところである。

司祭の中には、教会の典礼暦も司教の警告も無視し、奇跡を生むという理由で聖母のミサのみをささげる者もあった。また、14、15世紀のものといわれるゼッカウのミサ典書は、ミサの間に司祭がキリストの十字架に対すると同じ尊敬心をもってマリアと洗者聖ヨハネの聖画にせっぷんするようにと定めている。

マリアの聖堂への巡礼のみでなく、自分の村の教会での聖母への信心業たとえば土曜日の『サルヴェ・レジナ』の典礼やロザリオの祈りも迷信的な外的、機械的な信心態度で汚されていることが少なくなかった。Lex orandi, lex credendi といわれる。すなわち、これらの誤ったマリア信心のうらには、マリアについての神学的無知と誤解があった。これらの具体的な悪弊は、キリストが愛、救いの根源であることを忘れ、マリアを独立した恩寵の源とし宗教を道徳主義と業による聖化の手段と見る態度の表現であった。そのような態度は、当然、宗教の外的表現を一面的に重視し、制度のもつ外的形式の偏重を生み出した。「教会生活の中における、否定することのできない、重大な悪弊は彼(ルター)にとって神とその恩寵に対するカトリックの根本態度から現実に出てきた産物、「純粋な福音」からの根元的堕落を暴露するものと見えたにちがいない。彼のような極度に敏感な宗教的感受性をもった者にとってはことさら、あの時代の聖人崇敬が憂慮の心をおこさせたということは理解できることである。おとぎ話的な、あるいは迷信的とさえいえるようなことの跳梁について語らずとも、民衆の信仰生活の中で聖人というものが唯一可能な生命の中心、主たるキリストからあまりにも遠く離れてしまったという事実をだれが否定しようか」。

以上のような意味での教会生活の外形化がルターの批判のまとであり、ルターの信仰発展の一つの大きな要因であった。ルターが「ある人々はキリストを、御父の右に座し、怒りに満ちた者と考え、そこでマリアにのがれるが、これは悪魔の業である」と言い、「キリストはむなしく香炉の煙の洞穴にすわっている」とも「マリアは教皇制の中で偽神にされた」と言うとき、これらの発言は上記の悪弊に照らして理解されねばならない。後述するようにルターの批判は必ずしも常に公平ではなかったが、そのことは悪弊が存在した事実、その存在がルターのマリア崇敬の発展の要因になった事実を変更するものではない。