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霊の法則(パート2)

赦せない思いへの対処

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」(マタイ7・1)という御言葉は、人を裁いた瞬間、私たちは罪を犯すことになると教えています。人を裁くことができるのは、罪を犯したことのない人だけです。他人との関係においても、自分は正しいと思い、我慢に我慢を重ねた後、ひとこと言うと、逆にこてんこてんに言い返されることがあるのではないでしょうか。つまり、ひとこと言う資格のある者とは相手にみなされていないのです。人を裁くということは、自分に罪はないと言っているようなものです。自分に罪がないというからには、律法をすべて守っていなくてはなりません。そのような時、私たちは、いつの間にか|日約の律法の支配下に戻ってしまっているのではないでしょうか。

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(第1ヨハネ1・8)。

私たちは、自分が悪人(罪人、愛と憐れみを必要としている者)であると認めることもできれば、善人(罪のない者、他人を裁くことのできる者)であるふりをすることもできます。聖霊の導きに従って自己に光を当てることもできれば、肉(感情)の望みに従って他人を裁くこともできるのです。どちらを選択することもできますが、愛と憐れみがほしければ、愛と憐れみを与えなくてはなりません。赦してほしければ赦さなくてはなりません。たとえ相手が赦す価値のない人であっても。そうしなければ、不安、いらだち、敵意、争い、そねみ、怒り、不和等から解放されないのです。信じる信じないにかかわりなく、これはすべての人にあてはまる法則なのですから。

私たちの多くは、たとえ聖霊による洗礼を受けたとしても、ここにだけは聖霊に入ってほしくない、そういう心の部屋を持っているものです。特に、自分に対してひどいことを言ったり行ったりした人に対する赦せない思いは、神に解決していただかないかぎり、いつまでも心のどこかにくすぶっているものです。そしてその思いは、霊の法則により、自分自身を傷つけてしまうだけでなく、まわりの人々にまで悪影響を及ぼしてしまうのです。

 「神の恵みから除かれることのないように、また苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい」(ヘブライ12 ・ 15)。

「自分はクリスチャンなのだから、あの人を赦すべきだ」と自分に言い聞かせ、赦したふりをしても、あるいは、赦そうと努力しても、自分の本当の姿から目をそらし、自分を欺いているかぎり、本当に赦したことにはなりません。「あの人は悪い!」と裁くことも罪なのですから、自分自身の怒りにも目を向け、その罪を告白しなくてはなりません。そうすべき理由は、赦される価値のない者であったのに神の憐れみにより赦されたのだから、他人にも同じようにすべきであるということだけではありません。理性的に考えても、霊の法則により、その方が私たちのためにもなるからなのです。それに神は、他人を通して私たちに隠れている自我を見せようとしておられるのです。

最近の投稿「いやされない理由」の中で、なぜ祈ってもいやされない人々がいるのかというマーリン・キャロザース師の疑問に対して、神が彼に次のように答えられたということを書きました。

 「彼らは、自分自身の苦難、自分自身を苦しめているものからのいやしを願う。彼らは、まず、自分自身の中にあって、他人を傷つけているものからのいやしを祈り求めるべきである。」

これと同じことが、赦そうとしても赦せないでいる人々についても言えるのではないでしょうか。

「彼らは、自分に傷を負わせた相手の不当性をしきりに非難し、相手が変わること、相手が謝ることを要求する。彼らは、まず、自分自身の中に潜んでいるプライドや自己愛に気づき、相手に対する腹立ちや怒りについての赦しを請い求めるべきである」と。

赦せない思いを神に告白し、自分の意志により相手を赦すことを選択したら、感情の方は、神が変えてくださいます。心を変えるのは、神のみわざなのですから。決断することから始めましょう。赦せない人を思い浮かべ、たとえば次のように祈ってみましょう。

「主よ、私を赦してくださったことを感謝します。私は赦される価値のなかった者です。私は、○○を赦す決心をします。今、私の裁きから○○を解放します。○○が赦されるに価しなくても、そうします。私か○○を裁いたことを赦してください。私を死と罪の法則から解放してください。そして私の心がこの決断に従うよう、導いてください。」