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ヘブライ語の復活

イスラエルの建国については人の計らいではあり得ないような歴史的瞬間が幾度かありました。

1 1887年8月29日 第1回シオニスト会議
2 1917年11月2日 バルフォア宣言
3 1947年11月29日 国連のパレスチナ分割案
4 1948年5月14日 独立宣言
などです。

もう一つの奇跡は、ヘブライ語の復活かもしれません。ヘブライ語の復活と言うと語弊があります。その真の意味は、まず、書き言葉の面で、ヘブライ語が宗教上の聖なる言葉から、非宗教的な文学、一般の文章の書き言葉になったこと。もう一面は、ヘブライ語が日常生活で使われる「話し言葉」になったことです。

離散したユダヤ人は、それぞれ住んでいる地域の共通語を話したのはもちろんですが、ドイツから東欧にかけては、ドイツ語とヘブライ語が混合して生まれたイディッシュ語を、一方、スペイン語を話す地方では、スペイン語とヘブライ語が混合したラディーノ語を話していました。

19世紀当時、イディッシュ語などがあったので、ヘブライ語を話し言葉にという考えを思いつく人は誰もいませんでした。『ユダヤ人国家』を書いたヘルツルですら、世界中のユダヤ人が共通の言語を持っていないと認めながら、ヘブライ語では話ができない、だからそれぞれの故郷の言語を用い続けたらいいと述べました。

でも、世界中から帰ってくるユダヤ人に一つの共通語がなかったとしたら、現実に、はたしてイスラエルの建国が実現できたかどうか、その困難さは言うまでもありません。

ところが、ヘブライ語の復活というビジョンを持つユダヤ人、エリエゼル・ベン・イェフダー(1858年~1922年)が現れました。彼は、23歳のとき、夫婦でエルサレムに移住し、三つの行動を始めました。
1 自分の家庭からヘブライ語を始めること
2 人々にヘブライ語を使わせること。学校で、地域社会で。
3 ヘブライ語を復活させるためには、近代生活に耐えられるよう、新しく言葉を増やすこと。

彼は、妻のデボラに約束させました。まず、我が家でヘブライ語のみを話すこと。生まれた子供は、純粋にヘブライ語のみで育てること。

デボラ自身は、片言のヘブライ語しか話せませんでしたが、一生懸命に努力しました。エリエゼルは妥協をしない男でした。デボラは、数年後にはヘブライ語の教師になっていました。

ベン・イェフダーは、日常にヘブライ語を話すのに不足する単語を、いろいろの文献を漁って探し、なければ自分で作ることにしました。ヘブライ語新聞「ハツヴィ」(週刊)を発行し、紙上に次々と新語を発表し、それを人々が使えば定着していき、使わなければ消えていくに任せました。辞書も作りました。

妻のデボラが男の子を産んだとき、ベン・ツィオンという名前をつけました。シオンの子という意味です。夫婦は、約束のとおり、ベン・ツィオンを育てるのに、ヘブライ語以外は絶対に聞かせないというルールで育てました。その努力は大変でした。お客さんにもそれを守らせる。遊び友達は誰もいません。他の言葉で汚染しないためです。だから、知人は皆心配しました。事実、3歳になっても、一言もしゃべりません。

ある時、デボラが思わず母語のロシア語で歌を歌ったことで、エリエゼルが怒ったとき、母親を守ろうと息子から「アッバー(お父さん)」というヘブライ語が出ました。子供がヘブライ語をしゃべったと、二人は安堵して泣き合いました。こうして信じ願ったとおり、最初のヘブライ語を話す子供が出現したのです。

参考文献:『イスラエル建国の歴史物語』(河合一充著 2010年ミルトス発行)