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第3週の2「信仰における成長」

「霊的成長コース」

第3週「信仰」:信仰における成長

信仰は神によって形成されます。キリスト者は自分の努力だけでは信仰において成長することができません。そうはいっても、重大な出来事に立ち向かったり、役立つ方法を見習うことによって信仰の成長に貢献することができます。人間は自分自身の信仰を築くことはできませんが、神は人間の協力によって、その人の信仰を築くことがおできになります。 

信仰を危うくするもの 

1 恐れ 

信仰を働かせる上で障害となるものに恐れがあります。人が期待する信仰を働かせようとする時、しばしば恐れから来るささやき声が聞こえてきます。「神がそれをしてくださらない場合はどうするのだ、そうなればおまえのからし種の信仰はたぶんこっぱみじんになってしまうだろう。」、「おまえは本当にその小さな信仰で何かできると思っているのか。こういう状況だからキリスト者に本物の信仰が要求されるのだ。」恐れから来るこういった攻撃は、私達の人間としての弱さを手玉に取っているのです。 

これらの恐れは通常、自信のなさ、失敗への恐れ、信仰に対して力み過ぎることから生じてきます。それを克服するためには、リラックスして、主のもとで憩い、神の約束を思い出し、神のみことばを信頼し、失敗することを恐れないで思いきって前進しなければなりません。信仰において成長することは、歩くことを習得することに似ています。倒れることを恐れるならば、いつまでも這わなくてはならないのです。 

信仰における成長を始めたばかりのキリスト者は、小さなことについて祈ることから始めるべきです。頭痛を取り去ってもらうよう祈ることから始め、重い病気のいやしのために祈ることは、後まわしにするのです。キリスト者は信仰を働かせることに積極的でなければなりません。失敗は、もっと効果的に信仰を働かせることを習うための機会としてとらえるべきです。 

2 感情 

信仰に伴う感情について思い悩むことも、信仰を存分に働かせる上でたびたび障害となります。多くの人々は、無意識のうちに、あるいは意識してか、信じる気持ちが整っていなければ神は働かれないだろうと思っていて、願い祈るたびにやたら信じる気持ちを持とうと努めるのです。そのような人々は、主に対する信仰よりも、自分自身の内に祈り、行動するとき、神にのみ目を向けるべきです。信じる気持ちは役に立ちますが、神の力はそんなものに左右されません。信仰は感情ではないことがわかると、キリスト者は疑いの感情による束縛から解放され、神のみことばの岩の上に堅く立つことができるようになるものです。 

3 自己不信 

自分自身を信用していない多くの人々は、神をも信用していないのです。自分に対する自信の欠如や自己不信が、不信仰という重大な罪を持っているかのように見せかけることがよくあります。この問題をかかえているキリスト者は、自己非難という悪魔の攻撃にさらされることにもなります。信仰に対する障害が自己不信から生じている場合は、ゆがんだ罪悪感を無視するよう特別に注意すべきです。この問題が主として自分に対して自信があるかどうかということに関わっていることに気づくならば、問題をはっきりと見、主をもっと信頼することができるようになります。 

4 悪魔 

信仰に対する最後の障害は霊的戦いです。信仰を働かせる時に生じる障害の多くは自然的なものですが、悪魔の抵抗によって生じるものもあります。実に、悪魔どもは、自然発生的な問題さえも、一層悪化させることができるのです。霊的戦いの現実を認識することは、神のご計画に敵対する霊的勢力が心に植えつけようとする疑いの念や恐れの気持ちに打ち勝つ上で、キリスト者の助けになります。これらの偽りが表面に出て来たならば、キリスト者は神の権威によって偽りを非難し、真理によって偽りを追い出すことができます。 

信仰を持つための積極的手段 

1 信仰のある環境 

信仰成長を助長してくれるような人々と交際するならば、キリスト者は信仰において成長することができます。社会的環境は私達の態度、行動、生活様式に強力な影響を及ぼしています。もし人がほとんどの時間をスポーツ狂あるいは音楽愛好家と過ごすならば、その人も彼らと同じ情熱を持つようになるのではないでしょうか。同様に、神からほとんど何も期待しない人々に囲まれているならば、その人の信仰は弱いものとなるでしょう。他方、信仰に満ちた仲間に囲まれて生活していれば、その人の信仰は成長するでしょう。ですから、信仰において成長したい人は誰であっても、信仰生活に生きているキリスト者を自分の回りに見出し、彼らと定期的に会い、互いに支え合う個人的関係を彼らと築き始めるべきです。 

2 読書 

キリスト者は、信仰に満ちたキリスト者の世界観を伝える本や印刷物を読むことによって、信仰を深めることができます。特に価値があるのは、信仰のあついキリスト者の生活における神の働きについて書いてある本や雑誌です。そのような本は、神のみことばがキリスト者の生活の中でいかに大事にされてきたか示すことによって、聖書の真実を証ししています。信仰生活に入って日の浅い人には特に役に立ちます。キリスト教書物は、世俗的な生活環境にさらされることが信仰を危うくするのと同じくらいの確かさで、信仰を深めることができるのです。 

3 神のみことば 

信仰成長のための特別重要な手段は、神のみことばを聞くことです。ローマ人の手紙の第十章にパウロは次のように書いています。「信仰は聞くことからはじまります。そして聞くというのは、キリストについてのことばを聞くことです」(ローマ10・17)。キリスト者は、聖書・預言・本・個人的な訓戒・主から直接与えられる言葉を通して神のみことばを聞きます。しばしば、単純な真理が最も深い信仰を呼び起こします。神は私達を愛しておられる、神の聖霊が私達の中に住んでおられる、神は私達のあらゆる必要を満たすことを約束されておられるのです。神は私達を強め、私達を安心させ、私達の信仰を深めるために、みことばを与えてくださいます。ですから、キリスト者は熱心に神のみことばを聞き、吸収し黙想し、愛すべきです。そうすることによって、信仰を築き私達の霊を養うことができるのですから。 

4 個人の祈り 

キリスト者は、個人の祈りを忠実にしていると、信仰が強められていきます。神は、ご自分の民を養子、養女となさったので、彼らの祈りに応えることに喜びをお感じになります(マタイ7・7~11参照)。それなのに、多くのキリスト者は、あたかも、けちな見知らぬ人にお金を請いもとめているかのように祈るのです。全ての祈りに信頼がみなぎるべきです。神の子たちが確信を持って祈るならば、彼らのうちに新しい信仰が生まれ、彼らの願いは神の力を解き放つようになります。 

5 信仰を願う祈り 

信仰成長の最後の方法は最も直接的です。あなたの信仰を強めてくださるよう、神にお願いするのです。キリスト者は、神が応えてくださることを期待して、この祈りを自信を持って献げるべきです。神は、ご自分の民がご自分の愛と約束を大胆に信じることを望んでおられます。ですから、ご自分の願いに共通する民の祈りを拒否することはなさいません。 

訳:高浜武則