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この時のためにこそ(エステル)

第5章 この時のためにこそ(エステル4・14)

教皇フランシスコは言われました。「もし誰かのために祈ることに同意したのであれば、主の祈りと聖母マリアへの祈りをすばやく唱えるだけで終わってはなりません。むしろ、あなたの嘆願について「話し合う」準備をしなさい。なぜなら、神は何かのために継続して祈る人を見ると、感動されるからです」。教皇は2017年1月24日朝、サンタ・マルタ館でのミサの説教でこのような考えを披露されました。教皇さまは、神とモーセとの会話を皮切りに、祈りの力について考えておられたのです。

『エステル記』は、ユダヤ人達が捕囚先の国で滅亡の危機に直面していた時、ペルシア王国での迫害から解放されたことについて書いています。神の御摂理と、エステル王妃とその養父モルデカイのタイムリーな行動によりユダヤ人達は救われました。ペルシア王国の宰相ハマンは、王国におけるマイノリティーであった、国内のユダヤ人達全員を一日の内に絶滅する許可を王から得ていました。宗教的動機から、ハマンにひざまずき敬礼することを拒んだ、ユダヤ人の召使いモルデカイへの憎しみのゆえにハマンはこれを行いました。その間、モルデカイの姪で養女のエステルは、王妃として選ばれ、王宮に置かれていました。クセルクセス王の妻エステルに、差し迫る脅威について連絡したのはモルデカイでした。

このことをエステルに伝えながら、モルデカイは言いました。「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(エステル4・14)。エステルは同胞の民に対して計画された策略を避け、ハマンとユダヤ人の敵たちとを滅ぼすための王の勅令を得ました。『エステル記』は、断食と祈りを伴う、神への信頼がエステルのようなか弱い女性をいかに偉大な解放者にすることができることを示しています。エステルは、招かれることなくクセルクセス王の前に出ることを人間としては恐れていました。なぜなら、そうすることは死刑に相当する法律違反でしたから。エステルは、三日間断食と祈りをした後にそうしました。エステルはまた、彼女のために三日間、断食し祈るよう、スサにいるすべてのユダヤ人に頼みました。エステルは、法律に反して王の前に出る前に、自分も女官たちも断食し祈ると言いました。エステルは王妃の衣装を脱ぎ、粗布をまとって涙を流し、悲嘆にくれました。貴重な軟膏の代わりに、エステルは自分の頭を泥と灰で覆いました。エステルは自分の体をひどく痛めつけました。

このことは今日の私たちとどう関係するのでしょうか? キリスト者たちは世界のあちらこちらでペルシア帝国のユダヤ人と似たような状況に直面しているのではないでしょうか? 当時のユダヤ人は捕囚されており、マイノリティーで、死刑と絶滅の危機に直面していました。モルデカイを通して主は私たちに語りかけておられないでしょうか。エステルのように解放していただくために、私たちは、神のいつくしみと力強い介入とを求めて、断食と犠牲とをもって祈りの内にあえて王の前に出て行く必要があると。主はこの物語を通して私たちに語っておられないでしょうか。私たちは共同体として、自己満足と無関心の「豪華な衣装」を脱ぎ、祈りと犠牲と断食とをもって謙遜にひざまずくべき時が来たと。

聖パウロは私たちに警告しています。「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(一ペトロ5・8)。霊的な指導者は常に、邪悪な者たちの標的です。私たちの霊的指導者が「悪戦苦闘」している時、私たちは福音のために彼らを支援する必要があります(ローマ15・30)。なぜなら、彼らの戦いは、「血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」(エフェソ6・12)だからです。私たちは、ミニストリーや霊的指導をしている人々が「群れの模範」(一ペトロ5・3)になるよう執り成し必要があります。ですから聖パウロは、「だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです」(一テモテ2・8)と熱心に勧めています。

教会と世界は、私たちがこれまでの人生で耳にした課題の数を超えるほどの課題に直面しています。クリスチャンであること、そして自分の信仰を実行し告白することはもはや簡単ではありません。ますます、確信が高まりつつあります。つまり今日の最大の必要は、教会と世界のために執り成すことであると。馬は荷車の前に置かれなくてはなりません。執り成しは、教会のミッションの起爆剤であり、原動力となるべきです。すべてのキリスト者は執り成すよう招かれていますし、私たちのほとんどは、疑いなく、現在執り成しているよりもはるかにもっと執り成すべきです。今は、霊的な自己満足に浸る時ではありません。主は、世界中で起こっているこれらすべての出来事を通して私たちに語りかけておられます。私たちの目と耳を開いておきましょう。時のしるしを読み、祈りをもってそれに応えましょう。私たちが、混乱する時代に直面する今、これこそ主が私たちから求めておられることです。

(以下一部省略)

Prophetic Intercession

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