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ウァッス-ラ来日講演「神のうちの真実の生き方」

[ウァッス-ラの紹介]

彼女の国籍はギリシアですが、エジプトで生まれました。ギリシア正教で洗礼を受け、堅信を受けました。彼女がいただいたメッセ-ジは、内的語りかけと呼ばれているもので、教会史においてたびたび起こっていることです。彼女のメッセ-ジの中心はイエスの聖心(みこころ)で、すべてのキリスト者の一致を呼びかけています。彼女の本は日本を含め多くの国で出版されています。 彼女のメッセ-ジが本当に神からのものであるかどうかは識別が必要となりますが、四谷の祈りの集いで彼女の講話について話してくださったジラ-ル神父さまによると、マリアさまの出現の識別をして来られた世界的に著名なロ-ランタン神父がきちんと識別をしておられるということです。

1995年3月30日の来日講演(於:東京)のビデオを入手しましたので、その一部を次にご紹介します。英語を聞いて通訳の日本語を手直ししたほか、読みやすくするために便宜的に見出しをつけました。

1 守護の天使ダニエル

初めてこのメッセ-ジを皆さんに伝えるために、日本に来られたことを大変うれしく思います。日本では以前、秋田に行ったことがあります。そこではシスタ-アグネス(注:笹川修道女のこと)にお目にかかりました。今日はここ東京に来ています。まず神様がどのように私の人生にお出でになったか申し上げたいと思います。1985年の11月に突然神様が訪れてくださいました。私は神を考えたこともなければ、宗教の勉強をしたこともありませんでした。キリスト教徒でしたが、信仰を守っていませんでした。神を捜し求めてはいませんでした。私は、絵を描いたり、テニスをしたり(注:彼女はテニスチャンピオンでした)、ファッションモデルの仕事をしたりでとても忙しい生活を送っていました。友達もたくさんいましたし、幸福でした。すべてのものを持っていました。神以外は。

今日、神様は私に言われます。「あなたは以前、自分のためにしか生きていなかったが、今は私のためにだけ生きている」と。1985年のことですが、食料品の買い物リストを書いていた時、自分の中に何かの現存を感じました。そしてその声が内面から語りかけてきました。自分の内側で声を聞くことができたのです。突然、まるで誰かが私の手を取って紙の上に置き、ものを書いたようになりました。描かれたのは、人間の心とそしてそこから出てくるバラ、花でした。大変驚きました。

突然、この声は、「私はあなたの守護の天使で名をダニエルといいます」と言いました。私は前から天使が存在することを信じていました。でも天使が私に語りかけているなんてとても信じることができませんでした。この現存に私は喜びで一杯になりました。「でも、どうしてこんなことが起こるのでしょう。私は本当にあなたの声を聞いているのですか」と私は言いました。「はい、私はあなたの近くにいます」と守護の天使は答えました。あとになって、彼が教えてくれたことですが、すべての人間には守護の天使がついているのです。

私はうれしくて家中を走り回っていました。地に足がつかないくらいでした。「自分の守護の天使と話すことができるのは世界中で私だけだなんて想像できる?」と。でもたびたび教会の中でこの現象が起こっていることを私は知りませんでした。教会の歴史をとおしてこういう現象があることを知りませんでした。無知でしたから。夫が帰ったときに、「見て、私の天使がこれを書いたの」と言うと、夫は私の顔を見て、気が触れたわけではないとわかりました。そして何かが起こったことを理解しました。私は決してそういうものを創り出すような人間ではないからです。

(その一週間後、聖書を入手して読むよう天使から言われたこと。聖書を読んだが何もわからず、いかに自分が盲目であるかわかったこと。自分の心の中の本当の姿を示され、自分のあまりにもひどい罪深さにショックを受けたこと。また突然、御父の現存を感じ、その声を聞いたこと。主の祈りをゆっくり心を込めて唱えるよう御父から訓練を受けたこと。子供たちが御自分を見捨てているので御父が悲しんでおられること。愛のメッセ-ジを世界中に伝えるよう望まれたことなどの話が続きますが、聖心に関する部分に飛びます。6月はイエスの聖心の月ですから。)

2 イエスの聖心

その後、聖心のイエスが私を訪れ、私はまた驚きました。彼の最初の質問は、「あなたの家と私の家とでは、どちらの方が大切ですか」でした。イエスの家は教会を指しています。私は、「主よ、あなたの家です」と答えました。またイエスは、「私の家を復興してください、飾ってください。一致させてください」と言われました。「私がですか?」と私は言いました。「どうしてそんなことができるでしょう。あなたの選択は間違っています。何でも知っている人のところに行かれたらどうですか。私は何も知りませんから」。「そのままでいなさい。そうすれば、私はあなたをとおして何でもすることができる」。「どうして私を選ばれたのですか」。「惨めな者であるから、あなたを選んだ。あなたの惨めさをとおして、私の哀れみを示しましょう。あなたの弱さをとおして私の力を示しましょう。だからそのまま(何でもない者)でいなさい。私があなたを養成するままにさせてください」。

イエスはいつも「させてください」と許可を求めます。「あなたの時間を使わせてください。あなたの手を使わせてください。あなたを派遣させてください」。イエスはとてもていねいです。そして、いつも私たちを赦そうとしておられます。私が何かよくないことをしてイエスに赦しを求めたときに、彼は両手を広げる動作をなさいました。「私はこのようにあなたを赦します。私の腕の中に飛び込んできなさい」。これを見たとき、イエスは、「私はあなたにこの動作を見せました。それは、私がいかに赦すか、あなたが人々に語ることができるようにするためです」と言われました。

3 神を愛すること

初めから、イエスと御父は彼らを愛するよう、つまり神の最も大事な掟を私に教えたかったのです。それは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」という掟です。これは最も大事な掟です。他の掟はこの掟に続きます。第二の大事な掟は、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」です。主は言われます。「一番大事な掟を守らなければ、他の掟を守ることはできません。だから、私を愛することを学ぶことはとても重要なのです。私に近づかなければ、あなたは私を愛することはできない。来なさい。私と親しくなりなさい。父親に対する子供のように。私と親しくなったとき、あなたは私を愛するようになります。でも忘れないでください。私は聖なるものです。神への畏れが必要です。神を恐れるということではありません。神を尊び、讃美することです。それこそ神への畏れです」。

子供のように神と親しくなるだけでなく、神を尊敬するよう学ぶ必要があると主は私に言われました。いろいろなメッセ-ジをいただく前に、私は神を愛することを学ぶ必要があったのです。これは2、3ヵ月続きました。ある日、イエスは、「私のメッセ-ジは多くの人々に読まれるようになるでしょう」と言われました。なぜなら、私が次のように言っていたからです。「なぜ、このような書き取りをさせるために私を家に閉じ込めておくのですか。日は照っているし、私はテニスクラブに行って友達と楽しみたいのに。でも私は一日中書いています。誰がこれを読むというのでしょう。引き出しの中でほこりをかぶってしまうでしょうに」。イエスは言われました。「いいえ、皆が読むでしょう。今は小さな流れに過ぎませんが、後でそれは大きな川のようになり、それから激流になり、やがて平安と愛の海になります」と。

4 絶えず祈ること

これから、あなたは絶え間なく祈ってほしいとイエスは言われました。それはイエスが私に教えられたことです。私がいただいた教えはあなた方のためのものでもあります。メッセ-ジを読むときに、ヴァッスーラという名前があったら、それを取って代わりにあなたの名前を入れてください。メッセ-ジはあなた方一人ひとりのためでもありますから。絶え間なく祈りなさいと言われたとき、「いいえ、不可能です。料理をしなければならないし、息子を車で学校に送らなくてはなりません。どうして絶え間なく祈ることができるのですか」と答えました。

「ヴァッスーラ、あなたは哀れな者だ。まだ何も分かっていない。絶え間なく祈るということは、24時間跪いて祈るということではなく、私の現存を絶えず意識することです。私の現存を決して忘れないでほしい。絶えず祈るということは、あなたの神である私を熱望すること、切望することです。私を切望するためには、私を敬愛しなくてはなりません。最も大切な掟です。これこそ絶えず祈るということです。心から心への会話です。言葉のない会話です。なぜなら、神は時によっては言葉を必要としないからです。あなたの心が清らかで、神を求め、愛し、熱望しているなら、それは百万語にも相当します。」

ある日のことです。イエスにたくさん言いたいことがありました。でも、イエスのところへ行ったら、突然、すべての言葉を失ってしまいました。私はため息をつきました。「あなたの心から出たそのため息は、私にとっては百万語の愛の言葉に等しい」と主は言われました。イエスは私たちの心を求めています。私たちの心を取って、ご自分の聖心の中に収め、私たちを変えたいのです。

5 この世からの離脱 

また別の日のことです。イエスは私のところに来て、あなたには聖なる生活を送ってほしいと言われました。どのようにですかと尋ねると、私が教えてあげますと主は言われました。「でも、あなたは聖なる生活を送りたいか」と主はお聞きになりましたが、私は答えませんでした。恐かったからです。一体イエスは私に何を求めておられるのだろう。家族を離れて修道院に入ることを望んでおられるのだろうか。どうして家族を捨てられようか。カルメル会の修道女にはなりたくない。イエスは私の考えをご存じでした。でも私は答えませんでした。ですから主もあえてその話題を続けようとはされませんでした。

でも翌日、イエスはお出でになって、同じ質問をされました。「あなたはなぜ恐れているのか。答えなさい」と主が言われるので、「では、率直に答えていいですか」と尋ねたら、いいという返事だったので、私は、「一般信徒のままではだめですか。どうしても修道女にならなくてはだめですか」と言いました。「そんなことをあなたに願ったことはない。私はあなたの心がほしい。大事なのは心です」と主は言われました。そして、「私があなたをこの世から離脱させることをあなたは望みますか。離脱しなければ、私のあとに従うことはできませんよ」と言われたので、私は、はいと答えました。そしてイエスはそうなさいました。非常にゆっくりと、とても優しく、私が気が付かない方法で。でも回りの人々は気が付きました。ますます私を離脱させ、ご自分の似姿への変貌へと私の魂を導いてくださいました。

私はここで何をしているのでしょう。私は天国でイエスと一緒にいたいのです。イエスは、主と共にいたいと思わせるような方法で魂に試練をお与えになりますが、まだ、この世にいなくてはなりません。イエスは私たちを完全に離脱させるので、私たちは、本当に自分たちの家が天国にあり、この世の物質的な物はすべて、ハイテクの物も含め自分たちにとって害となり、不要であることに気づくようになります。そしてそのことで苦しみを味わいます。私はそういう体験をしました。主は私に、「では、行きなさい。この世に出て行きなさい」と言い、私は、「いいえ、行きたくありません。私はあなたのそばを離れたくありません」と答えました。「いいえ、あなたは出て行って、私のことを語らなければならない」と主は言われました。

6 神からの呼びかけ

私は何百万ものメッセ-ジをいただいていますが、その中から一つの小さなメッセ-ジをお読みします。イエスからのメッセ-ジです。これはイエスの意向です。イエスはおっしゃいます。

「これから私はたくさんの人々を自分に連れ戻します。常にこのことを覚えておきなさい。私は人々を生命へと導きます。私は誰も追い返しはしません。罪人であろうと、不義の人であろうと。あなた方は皆、私の子供です。私のメッセ-ジは愛のメッセ-ジです。真のよりどころへの呼びかけです。私のことばを思い起こさせるものです。私の存在を思い起こさせるものです。彼らに話してください。このメッセ-ジは、彼らにセンセ-ションを巻き起こすために与えられているものではなく、回心が緊急に必要であることを理解させるためのものであり、また、魂がどんな状態にあるかということの重大さと、生活を変えて聖なる生活をすることの重大さを教えるためのものなのです。」

このメッセ-ジの中心は、言い換えると、何なのでしょうか。神からの哀れみに満ちた呼びかけです。回心へ、和解へ、平和へ、一致への。イエスはおっしゃいます。「人々に言いなさい。平和の君であるこの神は、ご自分の悲しみを表すために、王たる衣と冠をわきに置き、チェルビムと諸天使に囲まれて、素足で世界中を巡回しておられます。神は悲しんでおられます。なぜなら多くの人々が神に反逆しているからです。この哀れみに満ちた呼びかけにおいて、王の王であるイエスはご自分の冠をわきに置いておられます。それは、私たち皆に寄りかかり、ご自分に引き寄せるためです。イエスは言われます。「もしあなたが私に許してくれるなら、私はあなたの心を花園に変えることができます。そこは私が憩うことができる場所となります。もしあなたが許してくれるなら、私はあなたの心を宮殿に変えることができます。そこは私があなたの王として君臨できる場所となります。もしあなたが許してくれるなら、あなたの心を天国に変えることができます。そこは私が御栄えを受けることのできる場所となります。

主は言われます。「私の聖霊の息吹きをあなたの中に吹き込むことができるよう、自分に死になさい。私の声が聞こえるよう、自分の声を小さくしなさい。彼らが私の頭を見ることができるよう、自分の頭を低くしなさい。私があなたを高めることができるよう、ひれ伏しなさい」と。これは主が私たちに望んでおられることです。

7 主の再臨

この頃、神さまのたくさんのしるしが与えられています。神はすべての人々に準備をさせておられます。なぜなら、イエスの再臨が差し迫っているからです。「新しい天と地であなた方が生きるようにと、神はあなた方に準備をさせています」と主は言われます。なぜなら、愛が愛として戻ってくる時が迫ってきたからです。間もなく、あなた方は、その愛が戻ってくるときの足音を聞くことになるでしょう。そのために、若者たちが幻を見るのです。イエスが言われるこのことは、聖書に載っています。主が新しい天と地を聖書に見るとき、それは教会の刷新、私たちの心の刷新を表しています。なぜなら、(終りの時には)すべての人々にご自分の聖霊を注がれるからです。たくさんの人々が今日、イエスを見ています。イエスはユダヤ人のところにも、イスラム教徒のところにも行かれます。彼らに出現なさいます。とても忙しくなっておられます。

8 主の苦しみ

私たちの魂は、砂漠のようにとても乾いていると主は言われます。それは主の苦しみです。主の心はいばらで一杯になっています。すべてのいばらは私たちの悪い行いを指しています。ある日、主は私に言われました。「来て、私の心に触れてみてください。あなたの手は何を感じますか。私の心の回りにバラがありますか。それは感じないはずです。私の心の回りに花が一杯咲いていると感じますか。いいえ、花は愛されている者に捧げられているのですよ。ではあなたの指は何を感じますか」。「いばらです」。「そうです」と彼は答えました。「もっとひどいですよ。私の心には槍先が入っています」。

超自然的に、イエスは今日ひどく苦しんでおられます。それは世の中の冷淡さによるものです。主の悲しみの大きな理由は、復活祭の日が一致していないことにあります。ギリシア正教会の復活祭の日と、カトリックとプロテスタントの復活祭の日は異なっています。イエスは言われます。「私はあなた方の分裂のさかづきをまた今度の復活祭においても味わうことになるのであろうか。復活祭の日を統一してもらえるか」と。多くの人々は一致について話します。でも彼らの言葉はひどいし、むなしい。主は、「お互いの身をかがめなさい。お互いのパンを分かち合うことで自分自身を私に証明しなさい」と言われます。これは、復活祭の日を統一してほしいという一致のメッセ-ジの中心部分です。

(以下、食前の祝福の必要性、ご聖体の重要性、親友のごとく絶えず語りかけてほしいというイエスの望み、ロシアについての預言、私たちの実の母マリア、天国のビジョン、天における戦いとその影響、終わりの時のしるし等の話が続きますが、紙面の都合で省略します。)

9 日本に対する主からのメッセ-ジ

私はあなた方の暗闇の時代にいて、あなた方に私の聖なる顔を啓示しています。あなた方を裁くために、自分の現存をあなた方にあらわそうとしているのではありません。私はあなた方皆を私の聖心に呼びかけるために来ているのです。私は目の見えない人に光を与え、自分は見えると言う人から光を取り去ります。私は自分の力を示すために弱い者を選びます。私の富と栄光を示すために貧しい者を選びます。

心を開いて私に話しかけなさい。私の名はイエスです。イエスは「救い主」という意味です。間もなく、本当に間もなく、私はたくさんの天使を引き連れてやって来ます。私の再臨は迫っています。見回してごらんなさい。私のしるしに気づかなかったのですか。私を恐れないでください。私は唯一の真理です。あなた方の天国への道です。私のところにありのままで来なさい。聖人になるまで待たないでください。

私の愛する日本の人々よ。このように言わないでください。「私は話せません。たとえ話しても彼(イエス)は私のいうことを聞いてくれないでしょう」と。私は今、あなた方に差し出そうと、自分の心を手の中に持って、あなた方の戸口に立っています。私は聖心です。あなた方皆のために私は新しい愛の讃美歌を作りました。今、哀れみが天から下ります。私の諸聖人の集いに、今まで私を捜し求めなかったすべての人々、今まで私を知らなかったすべての人々を招くための哀れみです。

聖書に書いてあります。「神はえこひいきをなさるような方ではなく、神を畏れ、正しいことを行う人はどの国の人も、神に受け入れられます」と。私が柔和な神、罪を赦す哀れみ深い神であることを知りませんでしたか。あなた方の価値のなさは私を引き付けます。なぜなら私はすべてだからです。私はあなたがの世話をすることができます。あなた方は自分の力で私に近寄ることはできない。だからこそ、私は天から身をかがめ、あなた方を抱き上げたい。だからあなた方の心の中に私を入れさせてください。私の栄光であなた方を飾ります。私を捜し求めなさい。そうすれば私を見出すでしょう。戸を叩きなさい。そうすれば私は戸を開くでしょう。

あなたが、私のような者はあなたの聖心に入れないでしょうと言ったとしても、私はこう答えるでしょう。「あなたは私の子供です。私の者。私の種による者。あなたは他の誰の者でもない。私だけの者です。あなたは私から生まれ、他に父はいない。だからあなたを私の心に入れたい。あなたは今まで私を捜し求めなかったかもしれない。でも私はあなたを見出した」と。私の子である日本の人々よ、これはあなた方への私のメッセ-ジです。

日本の人々よ、私はあなた方を祝福します。あなた方のひたいに私の愛のしるしを残します。