• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

カリスマ的なミニストリー(聖務)続き

D 経験

癒し

聖霊にたくさん驚かされたのは、カリスマ的あるいは霊的な賜物の領域においてです。初期の共同体で最初に顕在化したカリスマ的な賜物は、癒しの賜物でした。1977年2月、カリスマ的刷新に関わってまだ数ヶ月しか経っていなかったのですが、病人が瞬間的にその病(癌、尿毒症、おでき、腫瘍、神経・皮膚の病、白内障、難聴、さらには切れた腱や外傷さえも含む)から癒されたとき、私たちは本当に驚きました。按手して簡単な癒しの祈りをしただけだったのですが。来る日も来る日も祈りを求めて病人が聖ニノ教会と司祭館に連れて来られましたが、主はしばしばその祈りに応えてくださいました。神の国の教えに人々の注意を引き付けるよう、しるしと不思議な業をとおして聖霊がご自分の力を現されるとき、それは、福音書と使徒言行録の世界を再度体験するような感じでした。

異言

その後まもなく、形成されたばかりの小さな祈りのグループ(複数)で異言が出始めました。異言についての詳細な説明を受けることなく、人々は、祈りのグループでの共同の祈りにおいてだけでなく、個人の祈りの時間においても異言を経験し始めていました。異言とそれに伴う異言の解釈の最初の経験も突然のものでした。私たちはそれが起こっていることに気づきもしませんでした。ある日、1人のメンバーが異言で語っている間、他の2人のメンバーは同時に英語で彼女からメッセージを聞いたのです。

最初の幻視

共同体における最初の幻視は、1977年6月12日キリストの聖体の祝日に聖ニノ教会での教区ミサの後に起こりました。聖歌隊の若いメンバーが、キリストの笑顔と傷づいた両手を見て、恍惚状態になりました。キリストの両手からはおびただしい血が群衆に向かって流れ出ていました。同時に、「ぶどうの木はより多くの実を結ぶ。その枝はキリストを信じる者たちにまで広がる」という文字が空中に形成されました。

カリスマの現れ

毎週金曜日の晩の祈りの集いの直後に、より多くのメンバーが身体的癒しのための祈り方を学ぶにつれて、1977年9月までには、より多くの人々が瞬間的な癒しを経験するようになりました。霊の識別は、何度か経験したもう一つのカリスマ的な賜物でした。何人かの指導者の簡単な解放の命令により、不潔な霊と悪霊とが追い出されました。知識の言葉と預言は、異言と異言の解釈と同様に、共同体の祈りのセッション中に現れました。内的語らいと知識の言葉の賜物も、聖霊に鼓舞された教え同様、共同体内で指導職に招かれている何人かの人々が経験しました。最も途方もない聖霊の現れは、「(楽器のような)道具となっている状態」(よりよい言葉がみつかりません)をとおして与えられました。次々と出される一連の預言により生ける神のみことばが与えられたのですが、それは若い共同体に対する特定の指示となっていました。この特別な賜物をとおして、しばしば、メンバーたちの深刻な悪い行いが、兄弟愛的戒告のために指導者に示されました。これらの賜物をとおして聖霊は、「神の小さな子供たちの家族」という新しい共同体に活力を生み、与えてくださいました。常に主に賛美!

出現するミニストリー

聖歌隊のメンバーは、ほとんどが若者でしたが、「音楽ミニストリー」で続けて奉仕してくれました。定期的に病人の癒しのために祈っていた人々は、「癒しのミニストリー」で奉仕するよう招かれました。説教・教え・証しに関わった人々は、「教えのミニストリー」を形成しました。メンバーから毎月の愛の献金を集める業務を担当していた人たちは、共同体の財務係と簿記係とともに最初の「財務ミニストリー」を構成しました。彼らは後に、資金集め、ローン支援プログラムと生協的プログラムの組織化を含め、共同体のすべての金銭的取引を担当するようになりました。

ファミリー・ミニストリー

医者、看護婦、歯医者、薬剤師その他ボランティアの健康関連の働き手は、「健康支援ミニストリー」と呼ばれるようになりました。その一方、ソーシャルワーカーと他のボランティアのカウンセラーは、「社会支援ミニストリー」を形成しました。共同体の年史を作成していた人たちと「生けるみことばニューズレター」を準備していた人たちは、「文書化ミニストリー」を形成しました。私たちは後に、結婚を豊かにするセミナーを開催し、時々、共同体の夫婦のためにカウンセリングの機会を設けました。これは後に、「家庭生活ミニストリー」と呼ばれるようになりました。

ユース・ミニストリー

私たちは、若者に特別な関心を持っていました。なぜなら、私たちは、若者を新しい世代の中軸にしようと努めていたからです。ですから、「ユース・ミニストリー」は、「若い家族」を形成していた共同体の若い人々の育成のためのプログラムと活動に責任を負っていました。後に、「特別支援ミニストリー」が組織されましたが、これは、メンバーの家だけでなく、共同体の建物についても、その建設と修理の業務を委託されました。「家族」が年々成長するに従って、聖体特別奉仕者、祭壇を飾る人たち、祈りの指導者などから成る各特別委員会とともに、共同体の祈りの集いと宗教的活動を担当することになる「宗教・典礼ミニストリー」を形成することが必要ではないかと考えられるようになりました。

アウトリーチ

聖霊は、さらに、市内のスラム街、市内にある市立と州立の刑務所と様々な私立と公立の病院においてアウトリーチと福音宣教活動を行うよう私たちを導きました。適切な準備と福音宣教スキルの訓練がなかったにもかかわらず、共同体のメンバーは出て行ってこれらの場所で大胆に福音を宣言しました。それは、新たに見出したばかりの自らの信仰を喜びをもって証しすることにより、病人や囚人とともに祈ることにより、スラム街の住人の霊的および当座の必要について支援することにより行われました。これらのアウトリーチで多くの著しい癒しが目撃され、刑務所の多くの頑なな囚人たちが主イエス・キリストを知るようになりました。私たちにとって、これは、それらの場所で神の愛を宣言するよう私たちを導かれた聖霊の力への信仰による行いそのものでした。

ファンデーショナル・センター

さらに聖霊に導かれ、私たちは「ファンデーショナル・センター」を設立しました。そこは、私たちの共同体のすべての活動の拠点になりました。幾人かのメンバーがそこでフルタイムで働き、住むことを志願してきました。そこは、親を失ったり捨てられたりして歩道で寝ていた幾人かの少年の住処になりました。市内を通過していく貧しい渡り労働者の仮のシェルターにもなりました。市内をうろついていたホームレスや狂人たちの安全な家になりました。私たちは外来患者用の小さなクリニックをセンターに開設し、そこで病人のために祈ったり、簡単な治療をしたり、無料で薬をあげたり、無料で出産させたりまでしました。センターではドアの開放をポリシーとしていました。あらゆる階層の人々、特に、貧しい人々や虐げられた人々がセンターのドアを通って来ました。一日を通した慈善奉仕であり、一日の終わりは毎回、私たちの間で私たちをとおして主がなさっておられることに対して主に感謝するための聖なるミサと聖時間で締めくくられました。

指導者のトレーニング

拠点としてのファンデーショナル・センターから、私たちはやがて、パロ大司教区の他の小教区にまで、後には、他の州にまで手を差し伸ばしました。その内容は、福音伝道的セミナーであったり、癒しの奉仕であったり、音楽ミニストリーによるゴスペルコンサートだったり、共同体指導者のための訓練用ワークショップであったり、聖霊生活における成長のための霊的黙想会であったりしました。後には、他のカリスマ的共同体の指導者やメンバーが私たちの共同体に来て、私たちが最初はファンデーショナル・センターで後にパラクリート・アニメーション・センターで行っていたキリスト教指導者セミナー・ワークショップや霊的黙想会に参加するようになりました。

ロジスティックス・調整部隊

共同体が行っていたすべての使徒的活動、プロジェクト、プログラムを調整するために、私たちはロジスティックス(訳者注:兵站学。経営学では物資の総合管理のための研究・手法・戦略・システムなどをいう。)・調整部隊を立ち上げました。メンバーは、様々な内部と外部のミニストリーの責任者(しもべ)でした。月に一度、これらの責任者は、正式に会合を開き、彼らの計画と進行中のプログラムやプロジェクトの進捗状況を分かち合ったり議論したりしました。同時に彼らは、活動間での重複がないこと、というよりもむしろ、ミニストリー間で健全な協調と調整とがあることを確認しました。彼らは、新しいプロジェクトのための計画や提案を「しもべ協議会」に提出し、協議会はそれを承認し、適切な履行を予定に組み入れました。

しるしと不思議な業

カリスマ的賜物にかかるこれらすべてのすばらしい現われと、ダイナミックなミニストリーにおける聖霊の働きにおいて、私たちは神の御手を認識しました。これらのしるしと不思議な業を通じて、聖霊は、私たちの間と中で私たちをとおして、ご自分がいかに現代に至るまで力強く働かれているかを示してくださっています。私たちは神の生けるみことばを聞きました。私たちは神のしるしと不思議な業を見ました。私たちは私たちの真ん中で働かれる神の臨在と力を経験しました。そして、これらの現われは、ご自分の愛しい子供である私たちへの御父の愛の揺るぎない証拠であるとともに、本当のしるしであると私たちは喜びをもって証ししてきました。ですから私たちは真に言うことができます。私たちの神は本当に生ける神であり、今日においてもまだ不思議な御業を行われると。私たちの時代は本当にカイロス(訳者注:「測れない時」を意味する)、つまり、恵みと私たちの生活への神の予期しない介入と侵入の時です。それがなければ私たちの生活は普通の生活だったのですが。神は永遠にその栄光を讃えられますように!

神の小さな子供たちの家族の創立と方向性にかかる五つのビジョン

ビジョンをどう理解するか。

ビジョンとは、聖霊が個人あるいはグループをシンボリックな方法をとおして将来の一連の行為に向けて導くために用いられる一つの方法です。ビジョンにおいて考慮すべき要素は次のとおりです。

  1.  それは、将来についてのことばである。
  2.  それは、メッセージ(特定の訓令、指示、取るべき一連の行動)を個人あるいはグループに伝えるためのものである。
  3.  そのメッセージは通常、多くの象徴性をもって、すなわち、象徴的な心のイメージによって与えられる。しかしながら、それらのイメージは、聖霊による特別なカリスマによる賜物を受けた人により解釈されなくてはならない。それは、メッセージがメッセージを与えられた人々によりはっきりと理解されるためである。
  4.  心のイメージ以外に、ビジョンは通常、メッセージ全体を伝える言葉によって表現される。
  5.  ビジョンは、解き明かしを必要とする。ビジョンは、幻視者自身あるいは聖霊によって鼓舞された人によって解き明かされ得る。
  6.  ビジョンは、通常、意識があり、自分の能力を充分に発揮できる状態の人に与えられる。ただし、聖霊の力強い働きにより誘導されて、もしくはその働きへの反応として、幻視者が恍惚状態に似た状態でビジョンを受けることもあり得る。

「家族」に対する神の目的と青写真

「神の小さな子供たちの家族」の誕生から数か月のうちに、聖霊は、新しく形成されたキリスト共同体に次のビジョンを与えてくださいました。これらのビジョンは、「家族」の基本的な青写真を描き、「家族」が後年にわたって進むであろう主要な方向の輪郭をも描いてくれました。私たちは強い確信を持っています。これらのビジョンは、この「家族」への神の御計画であり、私たちが受け入れるべき神の御旨であり、私たちが聴き従うべき導きであると。

1 ブドウの木のビジョン=目的:交わり

私たちの主イエス・キリストの笑顔。群衆の顔(知っている顔もありますが、知らない顔がほとんどです)があこがれをもって主を見上げ、一心に見つめています。主の右手は、裂かれたその傷からおびただしい量の新鮮な血が流れ出ていますが、その群衆に向けられています。その手から火のボールが飛び出し、「ぶどうの木はより多くの実を結ぶ。その枝はキリストを信じる者たちにまで広がる」という文章が見えます。

2 大きな家と鳩のビジョン=目的:弟子の養成

大きな一つの目と大きな一つの手が、光に満ち溢れた大きな家の上にあります。多くのドアと窓のある大きな家です。黒と灰色の鳩が、あらゆる方向からやって来て、大きな家に飛び込み、皆クークー鳴き、さえずり、楽しそうに飛び跳ね、その大きな家の中で円陣を組んで何度も何度も飛び回ります。しばらくすると、鳩は白い鳩に変わりながら、あらゆる方向に飛んで行きます。

3 ひもでつながれた飛ぶ鳩のビジョン=目的:ミッション

鳩が、その中には白い鳩もいれば灰色の鳩もいますが、あらゆる方向に飛んでおり、すべての鳩は足にひもがつながれています。短いひももあれば長いひももあります。飛んでいるうちに、鳩はそのひもを他の黒や灰色の鳩をしばり、まばゆい光の方に引っ張ります。

4 長い旅のビジョン=目的:ミニストリー

彼らはあらゆる方向から来ています。それぞれ歩行用の杖を持ち、北に向かって移動しています。最初は、お互いを見ようとしません。やがて、彼らはお互いの存在に気づき、互いに話しかけます。次に彼らは手をつなぎ、同じ一つの方向に向けて手をつないだまま共に歩き出します。彼らは荒れた、岩の多い地面の上を歩き、小川や川を渡り、草原の土地を移動し、丘や山を登ります。来る日も来る日も彼らは一緒に旅をします。

やがて、旅を続けない決心をする者が出てきます。彼らは元来た道を戻って行きます。疲れと嫌気を感じ、立ち止まり路傍に座り込む者もいます。集団から離れて他の方向に歩き出し、北への針路からはずれる者もいますが、その一方で、多くの者は北への旅を共に続けます。

彼らはついに大きな家にたどり着きます。中に入ると、中に入る者全員のための宴会が用意されているのがわかります。ごちそうがあります。美しい音楽が流れています。その大きな家の広いホールの中心にまばゆい光に包まれた御父が座って、微笑んでおられます。そして、すべての者に御前に来るよう愛をもって招いておられます。

5 大きな十字架のビジョン=目的:礼拝

黒と灰色の鳩の四つの集団があり、地球の四つの角で円陣を組んで飛び回っています。突然、稲妻のように空から大きな十字架が降りてきて、地球の真ん中にしっかりと固定されます。同時に、地震のときのように、大地が根底から揺り動かされ、しばらくの間、恐れにとりつかれた鳩はあらゆる方向に飛び散ります。

やがて、一匹そして一匹と鳩が大きな十字架にやって来ます。くちばしで十字架をつかみ、ゆっくりと地面から持ち上げます。もっともっと多くの鳩が大きな十字架を囲み、くちばしでつかんで、段々と空まで持ち上げます。その大きな十字架が明るく輝く空に持ち上げられる間に、すべての鳩は段々と白くなります。