カトリック聖霊による刷新の公式サイト(https://ccrjapan.org)…
聖母は、最後に聖マリアの御心が勝利すると言われているのですが、これは具体的に何を意味しているのでしょうか。
これを解くカギは、『聖母から司祭へ』にあります。この不思議な本(聖母から内的語らいを受けたゴッビ神父によるもの)は聖霊刷新関連の本ではないのですが、第二の聖霊降臨に言及しており、マリア運動関係者のみならず、聖霊刷新関係者にとっても興味深い内容が含まれています。
【1973年12月19日のメッセージ】
サタンが世の支配者として王座につき、今や確かな勝利を得たと思うその時、私自身がその手から戦利品を奪い取るでしょう。突然サタンの手は空(から)になって、最終的な勝利は私とわが子のものとなるでしょう。これこそ、世における私の汚れなき心の勝利なのです。【1980年5月13日(ファチマの第一出現63周年記念)】
昔から、神のもっともわるがしこい敵だった、あれ狂うサタンとの戦いのこの時に、三位一体は、私に、ご自分の軍隊をひきいる任務をおまかせになりました。神が主のもっとも小さなはしためである私たちに勝利にみちたご自分のご計画を実現させようとなさるのは、他でもありません。傲慢と反抗の霊が、あなたがたの天の母の謙遜と、従順によって、今度もまた打ち負かされるためです。
【1980年6月14日(聖マリアの汚れなき御心の祝日】
私は、すでに、あなたがたひとりひとりの額に、私の印をつけました。
天の母からこの印を受けたすべての人に対しては、もう私の敵は何もできません。深淵の星(地獄の悪魔)は、私の子らを迫害し、そのために、私の子らは、もっと大きな苦しみを受けるように召されるのです。かれらのなかの大勢の人たちが、いのちさえ捧げなければならなくなるでしょう。でも、その愛の苦しみのいけにえによってこそ、私は、最大の勝利が得られるのです。
私は、太陽に包まれた婦人で、聖三位一体のなかにいます。聖三位一体がお望みになったところで、私が認められないうちは、御子とともに、母としてのあがないも、すべての人のために恵みを取り次ぐこともできません。・・・・・
『聖母から司祭へ』
以上のメッセージからわかることは、聖三位一体は、その軍隊の指揮を聖母にお任せになったということです。非常に不可解に思えるかもしれませんが、聖三位一体は、「聖マリアの汚れなき御心」を通してサタンに勝利することを望んでおられるのです。私たちが、聖母のこの役割を認めない限り、聖母は十分なお働きをすることができないようです。
私たちがすべきことは、私たち自身を「聖マリアの汚れなき御心」に奉献することです。(ちなみに私は、5回の初土曜日の信心を終えた後に、「聖マリアの汚れなき御心」に自分自身を奉献しました。)
【1984年3月25日のメッセージ】
わたしが、この汚れなき心に奉献するようにと願うのは、あなたがたに、わたしが神のみ旨のままに、あなたがたのことを自由にとりはからえるように、全面的に、しかも完全に、そして絶えず自分をわたしにゆだねるべきことを理解させるためです。あなたがたは、すべてを与えつくして、完全にわたしにまかせねばなりません。ある程度までは与えるが、あとは、たとえわずかでも、自分のために残しておくというようなことをしてはいけません。真に、すべてが、わたしのものとならねばならないのです。
また、今日はまかせても、明日はまかせないという態度もいけません。あるいは、自分の好きな期間だけにこれを限定することをせず、いつでもまかせなければなりません。
あなたがたが完全に、そして、永久に、天の母であるわたしのものであると強調するために、わたしの汚れなき心への奉献を願います。
『聖母から司祭へ』