カトリック聖霊による刷新の公式サイト(https://ccrjapan.org)…
第2週「キリスト者の愛」の目標は、1)キリスト教的な愛の理想を伝える、2)それに対抗する愛の考え方と区別させる、です。
最大の掟が何であるのか、一人のファリサイ人がイエスにたずねた時(マタイ22・34-40)、その問いがイエスをジレンマに落とし込んだかのように見えました。ユダヤの律法は、人間生活のあらゆる面に関わっていましたので、一つの掟を最高のものとして選ぶことはことは、他の多くの掟をないがしろにすることと同じになったのでした。もしイエスが、最大の掟は神を愛することであると言われたなら、敵対者たちはイエスを超世俗的宗教の抂信者であるとこきおろすことができたでしょう。他方、最大の掟は人々を愛することであると言われたなら、神を敬わない道徳教師としてイエスを非難することができたでしょう。イエスはこの二つの重要な掟をつなぎ合わせることでこの試みに対処なさいました。第一の掟『あなたの神である主を愛すること』が最大の掟である、しかし、第二の掟『あなたの隣人を自分のように愛すること』もこれに似ていると。二つの重要な掟は密接な関係にあって分けることができないことをイエスは私達に示してくださいました。神への愛と人間への愛は純粋なキリスト教生活の中核をなすものです。
私達を刷新なさる時、神は、祈りと神に対するより深い愛へと、私達を招かれます。それと同時に、私達の互いの関係を癒し、変えたいと神は強く望んでおられます。キリスト者の刷新は、二つの局面の一つだけに限定されてはなりません。人の神との関係と、人の人々との関係の両方が再活性化されなければならないのです。神の癒しの力がキリスト者の全生活に及ぶようになるために、いかにお互いに愛し合うべきかを、神はキリスト者に教えたいと強く望んでおられます。
しかしながら、キリスト者の愛は、個人的な霊的健康や力強い共同体生活への単なるルート以上のものです。愛はこの世における教会のミッションの中心にまで及ぶものです。イエスは弟子に仰せになりました。「互いに愛し合うならば、それによって人は皆、あなたたちが私の弟子であることを認めるであろう」(ヨハネ13・35)。その後、イエスはおん父に、「あなたが私をお遣わしになったことをこの世が知るために」、ご自分の人々が一つになるように祈られました(ヨハネ17・23)。異教徒たちに、「彼らはいかに愛し合っていることか」と感嘆させたのは、キリスト者の愛の輝きでした。この世が神を知るという神の願いが実現するためには、神の民は、この世が彼らの愛を見て感嘆するようにしなくてはならないのです。
聖霊による刷新に関わっているキリスト者は、超自然的でより壮大な神の働きに目を奪われて、福音書のこの核心を見失うべきではありません。使徒パウロは妥協することなく霊の賜物を、全てを網羅する重要な愛の掟の下に位置づけています。パウロは言っています。癒し、知恵、預言、霊の識別、その他の賜物は全て、「全体の利益のために」キリストの体である私達に与えられる(第1コリント12・7)と。「霊の賜物を熱心に求めなさい」、しかし、「愛をあなたの目的にしなさい」(第1コリント14・1)と。霊の賜物は、愛によって活用されない限り、神の力を十分に引き出すことができないのです。
“Basic Christian Maturity”