• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

聖霊の力において執り成す

今回はシリル・ジョン氏の著書 ”Prophetic Intercession” の第3章を拙訳でご紹介します。

新約聖書における執り成しのミニストリーは二人の偉大な唱道者を軸に展開します。つまりイエスと聖霊です。執り成しは、聖霊により導かれかつ強められて、イエスを通して御父にささげる祈りです。私たちが執り成しの祈りと思っているものは、実際には嘆願の祈りであることが多いです。その祈りは、私たちが神にしていただきたいことを自分勝手に神に語るものです。でも執り成すとき、私たちは、何について祈るべきか、どう祈るべきかについて聖霊に導かれ、かつ、支持される必要があります。イエスは御自分の弟子たちに聖霊を送ると約束されました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14・16)。「別の弁護者」として私たちと共におられるので、聖霊は、私たちの執り成しにおける弁護者となってくださいます。

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」(ローマ8・26~27)。多くの場合、私たちはどう祈るべきか分かりません。隠れた要因、問題の複雑性などのため、状況を完全には把握していないからです。私たちは未来を見通すことができません。私たちにとって最善のことも、私たちに対する神の御計画も理解していません。聖霊は、執り成すときに助けに来てくれる、内在する祈りのパートナーです。

何年か前のことですが、ある女性が何度も私に電話をかけてきました。ニューデリーの最上級の軍病院に入院した夫のために祈ってほしいと言うのです。彼は、全身を麻痺させる「閉じ込め症候群」という珍しい病に冒されていました。その女性は聖書を引用し、イエスは決していやしを拒まれなかったと言うのでした。夫の完全ないやしのために祈ることを私にしつこく求めました。患者の状況の変化を知らせる電話と、祈るようにとの念押しが3カ月続きました。彼女は、病院に行って夫のために祈ってくれませんか、とよく私に願ったものです。でもそれが実現したのは、私の小教区の司祭がある日電話をしてきて、その病院に行き、そこに入院中のインド軍前司令官のために祈ってくれませんかと私に頼んだ時でした。その時になって初めて私は、祈りの要請が私に伝えられていた人がインド軍の前司令官であることを知りました。その要請が小教区司祭から来た後、私は病院を訪れて将軍のために祈ることを承諾しました。それを知った後、その妻は私に電話で、病院を訪れたら夫の完全ないやしのために祈るべきだと指示して来ました。

彼女の話しぶりから、その女性は夫のいやしに固執していることが分かりました。将軍はヒンズー教徒でしたが、妻はキリスト教徒でした。私は病院の訪問に当たって、祈りの集いのメンバー一人に同行してもらうことにしました。病院に向かう前に私たちはカテドラル教会の御聖体の前で共に祈る時間を持ちました。祈っている間、聖霊は私たちに棺桶を示し、将軍が安らかな死を迎えるように祈るよう導かれました。聖霊は、赦しと和解に関連する特定の領域を示してくださいました。将軍は、とても力強い軍司令官でした。国軍によるいくつかの歴史的な作戦を指揮しました。そのような人でしたので敵もいくぶんいました。主が示されたのは、将軍に対して非常に恨みを持っている人々が何人かいるということでした。将軍は、安らかな死を迎えるために彼らの赦しを得る必要があったのです。

将軍はセキュリティーを高度に要する人物としてリストアップされていたので、病院に到着した後、私たちは将軍の部屋に到着するまでいくつものセキュリティーチェックを受けなくてはなりませんでした。将軍の妻は、入り口で待機していて、私たちに何のために祈るべきか、改めて簡単な説明をしました。彼女は将軍が寝ている部屋まで一緒に来て、私たちを注意深く見つめて立っていました。私たちのジレンマは、主が私たちに教えてくださっていた祈りをどのように祈るかでした。その女性は私たちが夫の完全ないやしのために祈ることを願っていましたが、主は安らかな死のために祈るよう指示しておられました。ごく一般的な導入の祈りをいくつかした後、私たちは二人とも異言の祈りに移りました。私たちが祈り続けていると、将軍の顔がより安らかでリラックスするのが分かりました。私たちが部屋を出た時、女性は私たちが祈りの中で何を感じ取ったかを知りたがりました。私は彼女に言いました。「あなたが今の状況を神の御旨に委ねることを主は願っておられる」と。

その翌日、私は軍の関係者から電話を受け、将軍が前夜になくなったと教えてもらいました。その人が言うには、将軍の悲しい逝去を私に伝えるように将軍の妻から指示があったということでした。その知らせを受け、私は、亡くなった将軍に二人で最後の表敬訪問をすべきだと感じました。でも私たちが気がかりだったのは、どの面を下げて将軍の妻に会うかでした。彼女は夫の完全ないやしを祈るよう私たちに依頼していたのですから。将軍は9カ月間寝たきりで、私たちが祈った後に亡くなりました。多くの軍関係者のうろついている将軍の邸宅に到着すると、あの女性がかなりヒステリックになっているのが分かりました。葬儀の取材に来ているテレビの取材班に彼女は叫んでいて、彼女のお嬢さんが彼女をなだめようとしていました。私たちは、その瞬間、あえて来るべきではなかったと感じましたが、その時にはすでにその女性が遠くから私たちに気づいていました。彼女は小走りに私たちのところにやって来ました。私は、将軍の死の前に将軍のために祈ったことから、公衆の面前で困惑させられることを本気で心配しました。驚いたことに、彼女が近づいて来たとき、彼女は羊のように穏やかで、私に優しく言いました。「シリルさん、なぜあなたが夫への神の御旨を私に話してくださっていたのか、今になって分かりました。祈ってくださってありがとう。私はこのことを受け入れます」と。何と美しい反応でしょう! 私はホッと胸を撫で下ろし、その場で、将軍のためだけでなくその妻のためにも御旨を果たしてくださったことを聖霊に感謝しました。

聖霊は私たちの祈りに答えてくださっていて、御自分が望まれる方法で将軍をいやされました。また、妻は夫への独占欲が強かったにもかかわらず、聖霊は妻が夫を解放することを可能にしてくださいました。実際、私たちの祈りは将軍とその妻の両方のいやしを可能にしたのです。執り成しにおいて私たちは聖霊に向かって開かれている必要があります。なぜなら聖霊は私たちが戦略的に祈れることを助けてくださるからです。執り成しにおいては、私たちが理解していない多くの複雑な状況があります。私たちは、聖霊に執り成しのプロセスを主導していただくようにしなければなりません。

この出来事の後、興味深いことが起こりました。シャロームテレビで執り成しについて12回連続で話をするよう依頼されたとき、私はこの出来事をそのうちの1回で話しました。その後数日間、私は人々から多くの電話を受けました。それは、何らかの病のために何年間も寝たきりになっている、彼らの配偶者、義理の両親、両親、近しい人々、愛する人々のために祈ってほしいというものでした。これには本当に困惑しました。誰かのために祈るとその人を死なせてしまう何か特別な賜物が私にあるとこの人々は誤解しているのではないか、と私は不躾ながら疑問に思ったのです。いやしであろうと死であろうと、私たちが聖霊の力に頼るとき、神の御計画に従ってそれは起こるのです。

もっと深い意味で、「執り成しとは何か?」と問いかけたら、その答えは、「聖霊により指揮され、活力を吹き込まれた、他者のための祈りである」となるでしょう。聖霊は、執り成しの主要な仲介者です。「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め(なさい)」(エフェソ6・18)。私たちが執り成すとき、聖霊に導かれ、指揮されなくてはなりません。「しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい」(一ヨハネ2・27)。私たちの執り成しは、聖霊の力と指揮により効果的になります。執り成しにおいて重要なのは、私たちが何のために祈ることを神が望まれているかを知ることと、同時に、祈りが効果的であるよう、聖霊の力を体験することです。

カリスマは執り成しにおいて助けになります。カリスマあるいは霊的賜物は、「聖なる者たちを奉仕の業に適した者とし、キリストの体を造り上げてゆく」(エフェソ4・12)ためのものです。霊的賜物を説明する一つの方法ですが、これらは私たちの役務に霊的な力を分け与える道具あるいは資源のようなものであると言えます。時々ですが、主は執り成し手に、誰かの自殺願望、自然災害、事故、致命的な病等のような緊急の意向を啓示してくださいます。執り成しそのものは、聖霊の賜物です。執り成しの間に使うことのできる他のカリスマには、異言の賜物、異言を解釈する賜物、知識の言葉、知恵の言葉、霊の識別、預言の賜物などがあります。時々ですが、私たちは何を祈るべきか、どう祈るべきか、分からないことがあります。グループの中にいる時、時には、全員に詳細を説明できない状況があるものです。そのような時はいつも、異言の賜物が執り成しの力強い手段になります。異言の賜物はずっと意向に焦点を当て、脱線しないよう助けてくれます。執り成しは、聖霊の力のうちに行われる時は、ずっと有効なものとなるのです。

by 高浜武則