• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

霊の法則(パート1)

善人と悪人のパラドックス

「おれは重力なんか信じないぞー!/わたしは重力なんて信じない!」と叫びながら、ビルの屋上から下に飛び降りたとしたらどうなるでしょう。あなたが重力の法則を信じようが信じまいが結果は同じです。悲惨な結果が待っているだけです。

私たちは、イエス・キリストの十字架の救いにより罪と死の法則から解放されたのですが、それと同時に新しい法則に移されたと聖書は教えています。

「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによっていのちをもたらす霊の法則が罪と死の法則からあなたを解放したからです」(ローマ8・1、2)。

カンタラメッサ神父は、1993年にローマおよび日本で行った黙想会において、聖霊こそ、新しい契約を確立する律法であると結論づけ、次のように説明されました。

「聖霊は、地の果てまで救いを運ぶための道具に過ぎないというものではありません。聖霊ご自身が救いであります。新しい契約の原理そのものでいらっしゃいます。聖パウロが言うように、この霊の法則が新しい命を授けるのです。新しい律法と古い律法の大きな違いはそこにあります。古い律法は命を与えることができませんでした。この新しい法則は新しい命を与えるのです」と。

さらに、「旧約の律法から霊における新しい法則への移り変わりというのは、イエス・キリストのうちに起こったことです。歴史的に言って、イエス様こそ霊における新しい契約を創設なさいました。実存的に言うと、これは一人ひとりの人生において毎回新たにされなければなりません。いつでも私たちは、旧約の律法の支配下に戻る可能性があるのです」とも言われました。

新しい法則は、霊の法則、愛と憐れみの法則、赦しの法則、いのちの法則などと呼ぶこともできると思いますが、この法則を詳しく説明する代わりに、あるお話をご紹介しましょう。

ある所に、隣り合わせの2軒の家がありまして、その1軒には、子供のない中年の夫婦が住んでいましたが、どういうわけか、その夫婦の間にはけんかが絶えたことがありません。ちょっとしたことが原因となっては、互いに口汚くののしりあって不愉快な日々を過ごしているのでした。ところがその隣りは大世帯で、若夫婦に子供が3人、それにお姑までが加わった大家族ですが、不思議なことには、その家からは、いまだかつて口げんかの声らしきものの漏れるのを聞いた人がないのです。いつ行っても一家こぞって二コニコと、いかにも幸せそうなありさまは、夫婦げんかを日課のようにしている隣りの夫婦者には、真に理解しがたい謎でした。

そこである日、隣りの家へ出かけて行って、いったいどうしてたくさんの家族が毎日毎日けんか一つしないで暮らしていけるのか、その秘訣を教えてほしいと頼みました。

隣りの主人はニッコリ笑って、「ああ、そのことですか。それはなに、ちっとも不思議なことではないのですよ。あなたの家に夫婦げんかが絶えないのは、お二人とも善人だからです。私のところにけんかがないのは、私たちみんなが悪人ぞろいだからです」と答えました。隣りの主人が驚いて、善人ばかりの家にけんかがあって悪人ぞろいの家にけんかがないとはいったいどういうことですかと尋ねますと、若主人が答えて、「まあ、仮に私が座敷の真中に出してあった湯飲み茶碗に気がつかないで、うっかり足にひっかけたとしましょうか。私は、ああ、これは私が不注意で悪かったと申します。すると私の家内が、『いいえ、あなたが悪いのではありません。早く片付けなかった私が悪いのです』と言うと、私の母がそばから囗を出して、『いやいや、年寄りの私がそばにいながら注意してやらなかった。私のあやまちだよ』と申します。みんなが進んで悪者になろうとするのです。けんかをしたくても、これではできないではありませんか。ところで、お宅でしたらお二人は、そんなとき、どのようにおっしゃいますか?』と言われて、隣りの男は、フーム、なるほどそうでしたかと合点がいったということです。

小林有方司教の著作から(書名不明)