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いやされない理由

1988年夏、タルディ、ラバリイ両神父が来日され、両師の指導する関東地区黙想会(於 日野)に私も参加しました。いやしの賜物をいただいているタルディ師も、「なぜ祈ってもいやされない人がいるのか自分にもわからない。天国に行ったら神様に聞いてみるつもりだ」と言われました。

しかし、『獄中からの讃美』や『讃美の力』等の本で有名なマーリン・キャロザース師の第5番目の本”Walking And Leaping”の中にいやされない理由がはっきりと記されていますので、この本の第5章(いやしの奉仕)から該当部分を紹介します。

神が骨を瞬間的に治されたり、心臓をいやされたり、その他驚くべきことをなさるとき、私はいつも感動します。・・・(略)・・・しかし、ここ(私たちの教会)で起こった様々な肉体的ないやし以上に、霊的ないやしは多くの点で意味深いものでした。

何年もの間、私は、なぜ祈ってもらった人すべてがいやされるわけではないのか、その答えを求めていました。何かそれなりの理由があるはずだとは思っていましたが、細心の注意を払い答えを追求しても何も分かりませんでした。ある日の午後のことです。自分の机に向かって、窓の外の渓谷を眺めていたとき、答えが来ました。

「わたしの子たちはいやされない。なぜなら、間違ったいやしを願うからだ。」
「主よ、あなたですか?」
「彼らは、自分自身の苦難、自分自身を苦しめているものからのいやしを願う。彼らは、まず最初に、自分自身の中にあって他人を傷づけているものからのいやしを祈り求めるべきである。」

私は喜びのあまり、飛び上がらんぽかりでした。祈ってもいやされないというジレンマに対してこれまで何の解決も得られなかった人々にいやしをもたらすことになるであろう真理を神は私に示してくださったのです。その時以来、私は神の子供たちに対して、このことに注意を向けるよう促すことができるようになったので、彼らは実際にすばらしいいやしを体験するようになりました。

神が私たちに最も望んでおられる二つのことは、自分のすべてをかけて神を愛することと、自分を愛するのと同じくらい他人を愛することである、とイエスは教えてくださいました。いやしの秘訣はここにあったのです。《あなた自身の中にあって、他人を傷つけているものすべてからいやされるように祈りなさい。そうすれば、御子との新たな輝くような関係を経験するでしょう。》

最初にすべきことは、あなたがどのように他人を傷つけているのか知ることができるよう祈ることです。なぜなら、他人を傷つける方法は、海辺の砂粒のように多いからです。私は、通常の方法、たとえば中傷やうわさ話だけのことを言っているわけではありません。間接的な方法、たとえば隠れた嫉妬心、裁き、自己の正当化などにも敏感でなければなりません。なぜなら、私たちは自分が考えたり感じたりすることをいつも囗にすることはないとしても、心の中にそれを持っておくと、他人だけでなく自分自身にも大きなダメージを与えるからです。関節炎が心の中に恨みを生涯抱えていることによって起こり得るということを考えてみたことがありますか。絶望が単なる行き場のない怒りであり得るということも。

心配と恐れに捕らわれた霊がいやされないで、肉体がいやされることもしばしばあるでしょう。しかし、霊がいやされ、暗い部分が明るみに出されるにしたがって、信仰が増し、その人は自分の生活におけるあらゆる領域でのいやしに開かれるようになるのです。霊的に衰弱し、重荷を負うことに疲れ、神の祝福に値するような良い人間になろうと努力する人々を主は私たちのもとに送られました。ありのままの彼らを神が愛しておられ、彼らの罪や失敗に対する完全な赦しについてイエスを信頼できることをどれだけの人々が分かるようになってくれたのか、私にもはっきりとしたことは言えません。でも、人々が驚くべき肉体的ないやしを受けているだけでなく、彼らの心の奥底のレベルで彼らの生活全体が変えられているという評判が広がっています。

訳:高浜武則