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私だけに情熱を向ける花嫁がほしい

1999年9月の第2週、トロント・ブレッシングという霊的祝福を受けている教会の主任牧師によるセミナー(2泊3日)に参加してきました。その最終日、キャロル・アーノット牧師夫人が「花婿は間もなく来ます。準備はできていますか」という内容の講話を力強く語りました。その直後、預言が与えられました。

この時の講話で引用されたのは、マタイの福音書25章の「十人の乙女」のたとえでした。5人の賢い乙女は花婿がいつ来てもいいように油を用意していたが、5人の愚かな乙女は花婿の来るのが遅れたので油の用意をしていませんでした。このたとえの結論は次のようになっています。

「花婿が到着して、用意の出来ている5人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかの乙女たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

イエス・キリストとキリスト者との関係は、花婿と花嫁との関係になぞらえられています。花嫁は、結婚式を迎えるまでに、その準備に大変な時間を使います。エステに通い(?)、ドレスを選び、髪を整え、念入りに化粧をするでしょう。すべて花婿への愛のためです。恐れのためではありません。キリスト者はきっとイエス・キリストのために同じようにすればよいのでしょうね。私は、イエス・キリストを情熱をもって愛することができるように神に祈り求めていきたいと思います。

「聞く耳のある者は聞きなさい。私はあなたがたに語っている。私はあなたがたに語ってきたが、あなたがたは聞く耳を持たない。熱くなってほしい。私のために熱くなってほしい。私のために情熱をかかげてほしい。私の息子はあなたがたのために命を捧げた。愛する花嫁のために命を捧げた夫が、今自分を慕ってやまない花嫁を求めている。私はもう命以下のものは彼に与えない、と言う花嫁を。

今私はあなたがたに呼びかけている。今あなたがたを捕らえているものを全部置きなさい。あなたがたを縛っているものを捨てなさい。小さいものも大きいものもある。ある人は罪にとらわれている。簡単に取り除けないものもある。しかし、私はあなたがたを見つめ、あなたがたに語っている。私は花嫁のためにやってくる。しみもしわもない花嫁を求めてやってくる。

私の目に適う花嫁はどこにいるのか。他のものに目を奪われるような花嫁はほしくない。この世のものに目を奪われるような花嫁はほしくない。私のためにどんなにりっぱな仕事をしていてもそんなものに目を奪われるような花嫁はほしくない。私にだけ情熱を向ける花嫁がほしい。私は情熱の神、愛の神。私に情熱を向ける花嫁がほしい。私は、私にだけ夢中になっている花嫁がほしい。それ以下の花嫁はほしくない。私の息子への情熱、愛、憧れを持っている花嫁がほしい。

時が近い。私はあなたがたを待っている。警告も与えている。あなたがたはなまぬるさから、この世のものから解放されて、悪しき道から離れなさい。愛の主に求めなさい。情熱がほしいなら主に求めていきなさい。主があなたに炎を置き、あなたを燃やす。あなたが願い求めるなら、私はあなたに応える。私の心は今あなたのために裂かれている。私はあなた自身を求めて止まないのだ。あなたがたの中には、まだ心の中に自分がこんなものを持っていることに気づかない者がいる。また、どのように火が燃えたらよいのかわからなくて戸惑っている者もいる。しかし私にはできる。私に求めるなら、真剣に求めるなら、私に変えられたいと願っているなら、私は来てあなたをいやし変える。情熱の炎をあなたに送ることができる。

私はあなたがたの父だから、私はまことにあなたがたを愛している。愛していなかったなら、このような警告を与えはしない。警告を与えないで突然やってくるので、あなたがたは知ることができない。でもあなたを愛しているので、気にかけているので、花婿に夢中になっている花嫁になってほしい。私の息子はあなたを求め、手を差し伸べている。私はこの花婿を愛を持って与えたのだから、この花婿を慕うものになってほしい。」

拙訳