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教皇パウロ6世の使徒的勧告『マリアーリス・クルトゥス(聖母マリアへの信心)』の解説にとてもいい説明があったのでご紹介します。
私たちカトリック信徒は、マリア崇敬が偶像崇拝に陥ることのないよう、注意したいものです。
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初代教会から、主の母に対する崇敬は、「関係」の中に位置づけられていた。三位一体の神、特に受肉したみことば、イエス・キリストとの関係、マリア自身が属する旧約・新約の神の民との関係、また、宇宙的規模の中で全人類との関係-「新しいアダム」キリストによって、キリストの中に、キリストを通して、まったく新しくされた人間「新しいエバ」として-。マリア崇敬が、「関係」から切り離された時、つまり、あたかも独自の崇敬のように、キリスト教礼拝から離れ(それは必然的に、神のあがないの計画からの離脱を意味する)、教会生活(神の民の日々の信仰の歩み)から離れた時、それは本来の意味、効力を失うばかりか、混乱、誤解、無関心の対象になる。
パウロ6世にとって、公会議の教えに沿って、キリストの神秘と教会の神秘の中で、マリアの神秘を黙想することは自然であった。彼にとってマリアの存在は、すべて神である御子キリストに、また彼によって成された救いの出来事に「関係」していた。もし、教会が主の母に特別な崇敬をささげるとするなら、それは、マリアが、キリストによってあがなわれた者の「初穂」として、そのあがないの業に、独自の方法で、ひじょうに緊密に協力したからに他ならない。「初穂」として、マリアは、それに続くキリストの民、私たちの日々の信仰生活にとって、「確かなしるし」となるのである。
以上