• 思いがけず聖霊の風の恵みを受けたカトリック信徒が、聖霊刷新とは何か、Jacky のニックネームで具体的に説明するサイトです。テーマは、預言的執り成し、預言、いやし、悪霊からの解放、イスラエル、アメリカ、メシアニックジュー、エキュメニズム、マリア崇敬、聖マリアの汚れなき御心の勝利、第二の聖霊降臨など多岐にわたります。聖霊刷新関連の本もたくさん紹介しています。

「関係」の中でのマリア崇敬

教皇パウロ6世の使徒的勧告『マリアーリス・クルトゥス(聖母マリアへの信心)』の解説にとてもいい説明があったのでご紹介します。

私たちカトリック信徒は、マリア崇敬が偶像崇拝に陥ることのないよう、注意したいものです。

>>>>>

初代教会から、主の母に対する崇敬は、「関係」の中に位置づけられていた。三位一体の神、特に受肉したみことば、イエス・キリストとの関係、マリア自身が属する旧約・新約の神の民との関係、また、宇宙的規模の中で全人類との関係-「新しいアダム」キリストによって、キリストの中に、キリストを通して、まったく新しくされた人間「新しいエバ」として-。マリア崇敬が、「関係」から切り離された時、つまり、あたかも独自の崇敬のように、キリスト教礼拝から離れ(それは必然的に、神のあがないの計画からの離脱を意味する)、教会生活(神の民の日々の信仰の歩み)から離れた時、それは本来の意味、効力を失うばかりか、混乱、誤解、無関心の対象になる。

パウロ6世にとって、公会議の教えに沿って、キリストの神秘と教会の神秘の中で、マリアの神秘を黙想することは自然であった。彼にとってマリアの存在は、すべて神である御子キリストに、また彼によって成された救いの出来事に「関係」していた。もし、教会が主の母に特別な崇敬をささげるとするなら、それは、マリアが、キリストによってあがなわれた者の「初穂」として、そのあがないの業に、独自の方法で、ひじょうに緊密に協力したからに他ならない。「初穂」として、マリアは、それに続くキリストの民、私たちの日々の信仰生活にとって、「確かなしるし」となるのである。

以上